者の行くことはわかっている、諏訪家では態々《わざわざ》人を出し、国境まで迎えさせたが、まず休息というところから城内新築の別館へ丁寧《ていねい》に葉之助を招待《むかえいれ》た。
翌日が正式の会見日である。
その夜諏訪から重役が幾人となく挨拶《あいさつ》に来たが、千野兵庫《ちのひょうご》が来た時であった、葉之助は卒然と訊いた。
「お家は代々文学のお家柄、蔵書など沢山ござりましょうな?」
「さよう、相等《そうとう》ござります」
「文庫拝見致したいもので」
「いと易《やす》いこと、ご案内致しましょう」
兵庫は葉之助を導いて書籍蔵へ案内した。実に立派な文庫である。万巻に余る古今の書が整々然として並べられてある。
葉之助は心中感に耐えながら「ス」の部を根気よく調査したが、その結果ようやく探し当てたのは「水狐族縁起」という写本であって、部屋に戻ると葉之助は熱心にそれを読み出した。
水狐族なるものの発生とその宗教の輪廓《りんかく》とが朧気《おぼろげ》ながらも解って来た。
――平安朝時代のことであるが、この諏訪の国の湖水の岸に一個の城が聳《そび》えていた。城の主人《あるじ》を宗介《むねすけ》と云いその許婚《いいなずけ》を柵《しがらみ》と云ったが柵は宗介を愛さずに宗介の弟の夏彦を命を掛けて恋した果て、その夏彦の種を宿し産み落とした娘を久田姫と云った。これぞ悲劇の始まりで、宗介と夏彦とは兄弟ながら恋敵《こいがたき》として闘った。
二二
諏訪湖《すわこ》にまたは天竜川に、二人の兄弟は十四年間血にまみれながら闘ったが、その間|柵《しがらみ》と久田姫とは荒廃《あれ》た古城で天主教を信じ佗《わび》しい月日を送っていた。十四年目に宗介は弟夏彦の首級《くび》を持ち己《おの》が城へ帰っては来たがもうその時には柵は喉《のど》を突いて死んでいた。
「俺はあらゆる人間を呪う。俺は浮世を呪ってやる!」こう叫んだ宗介が八ヶ嶽へ走って眷属《けんぞく》を集めあらゆる悪行を働いた後、活きながら魔界の天狗となりその眷属は窩人《かじん》と称し、人界の者と交わらず一部落を造ったということは、この物語の冒頭において詳しく記したところであるが、一人残った久田姫こそ、いわゆる水狐族の祖先なのであって、父夏彦の首級を介《かか》えた憐れな孤児《みなしご》の久田姫は、その後一人城を離れ神宮寺村に住居
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