た浪人もあり、手代、番頭、小作頭もある。それらさまざまの人物がギッシリ一部屋に集まった。四方に眼を配っていたが、番頭の佐介はこう云うと紋兵衛の顔を覗き込んだ。
「ご覧なさいませ部屋の中には行灯《あんどん》が十もござります。なんの暗いことがございましょう」
「いいや暗い、真っ暗だ。早く灯心を掻《か》き立ててくれ」
「それじゃ卯平《うへい》さん掻き立ててくんな」
「へい」と云うと手代の卯平は、静かに立って一つ一つ行灯の火を掻き立てた。いくらか部屋が明るくなる。
「時に今は何時《なんどき》だな?」
 気遣《きづか》わしそうに紋兵衛は訊く。
「はい」と佐介はちょっと考え、「初夜《しょや》には一|刻《とき》(二時間)もございましょうか」
「まだそんなに早いのか」
「宵《よい》の口でございます」
「ああ夜が早く明ければよい……俺は夜が大嫌いだ。……俺には夜が恐ろしいのだ」
 ザワザワと吹く春風が雨戸を通して聞こえて来た。と、コトンと音がした。
「あれは何んだ? あの音は?」
「さあ何んでござろうの」剣術使いの佐伯|聞太《ぶんた》は、大刀を膝の辺へ引き付けながら、「鉢伏山《はちぶせやま》から狐《きつね》めが春の月夜に浮かされてやって来たのでもござろうか」
「ナニ狐?」と紋兵衛は、恐怖の瞳を踴《おど》らせたが、「追ってくだされ! 俺は狐が大嫌いだ!」
「よろしゅうござる」
 と大儀そうに、聞太はスックリ立ち上がったが襖《ふすま》を開けると隣室へ行った。障子《しょうじ》を開ける音がする。雨戸をひらく音もする。
「アッハハハハ」
 と笑い声がすると、雨戸や障子が閉《た》てられた。
 聞太は部屋へはいって来たが、
「狐ではなくて犬でござった。黒めが尾を振っていましたわい」
「犬でござったのかな。それで安心」紋兵衛はホッと溜息をした。
 暫時《ざんじ》部屋は静かである。
 と、紋兵衛は悲しそうな声で、
「ああ私《わし》は眠りたい。眠って苦痛を忘れたい……北山《ほくざん》先生、薬くだされ!」
 天野北山は黙っていた。
 長崎仕込みの立派な蘭医《らんい》、駿河守の侍医ではあったが、客分の扱いを受けている。江戸へ出しても一流の先生、名聞《みょうもん》狂いを嫌うところからこのような山間にくすぶってはいるがどうして勝れた人物であり、いかに相手が金持ちであろうと人格の卑しい紋兵衛などの附き人などに成る
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