然うかい、それは有難いねえ。妾ァどっちでもいいのだ。では其薬を妾にお呉んな」
「今は無い、二三日待て」
「ああ待つとも待ってあげよう。お前も随分の悪党だ。妾だって是れでお姫様じゃあ無い。悪党同志の約束だ。冥利に外れたこともしまい。では二三日待つことにしよう。……では妾は帰って行くよ」
 出入口の蓋が退けられた。女の立ち去る気勢がした。老人は注意して床下を出た。表の方へ行って見た。一丁の駕籠が走っていた。
 老人は再び裏へ廻り、出入口の蓋をした。それから三日月を肩に負い、自分の屋敷へ引っ返して行った。

 南蛮温室の寝台の上で、尚香具師は眠っていた。
 と、ノロノロと身を蜒《うね》らした。軈て幽に眼を開いた。一つ大きな欠伸をした。
「ああ素晴らしい夢を見た。……だが何うも体が怠い」寝台の上へ起き上った。
「お若いの、どうだった?」その時側で人声がした。そこに老人が立っていた。気味悪くニヤニヤ笑っていた。
「おお老人、其処にいたのか。全くお前さんの云う通り、この眠剤は素晴らしいね。俺はすっかり驚いて了った」
「音楽の音が聞えたろう」
「おお聞えたとも、聞えたとも、何んと云ったら可かろうなあ、迚《とて》も言葉では云い現せねえ」
「美しい景色が見えたろう」
「天国と極楽と竜宮とを、一緒にしたような景色だった。……だが何うも体が怠い」
「そいつあ何うも仕方がねえ。この眠剤の性質だからな」
「俺は動くのが厭になった」
「アッハッハッハッ然うだろうて。そいつも眠剤の性質だ」
「俺は働くのが厭になった」
「アッハッハッハッ然うだろうて。そいつも眠剤の性質だ」
「俺は動かず働かず、眠剤ばかりを飲んでいたい」
「いと易いことだ、持って行きねえ。沢山眠剤を持って行きねえ。伝手《ついで》に吹管を持って行きねえ。そうだ二三本持って行きねえ」
「や、そいつあ有難え。では、遠慮無く貰って行こう」
「いいともいいともさあ持ってけ」

     一五

 老人は二本の吹管と、箱に詰めた眠剤とを取り出して来た。
「ところで」と老人は笑い乍ら云った「お前、尾張様へ取り入っているそうだな」
「うん」と云ったが渋面を作った。
「どうやらお愛妾お半の方と、仲が悪いということだが」
「そんなこと迄知ってるのか?」
「そこはお前蛇の道は蛇だ。そんな事ぐらい解っているよ」
「へえ然うかい、驚いたなあ」香具師は不快な顔をした。「だが一体お前さんは、どういう素性の人間なんだい?」
「そいつあお互云わねえ方がいい。その中自然と解るだろうよ」
「兎に角只の鼠じゃあねえな」
「ナーニ案外白鼠かもしれねえ」
「どう致しまして、大悪党だろう」
「お前こそ何ういう人間なんだい?」老人はヘラヘラ笑い乍ら訊いた。
「お前が云えば俺も云うよ」
「まあまあ夫れは此次にしよう。お互浅黄の頭巾を脱ぐと、気不味いことが起るかもしれねえ。……それは然うとお半の方だが、お前に何か目算があるなら、仲宜くした方が宜かろうぜ。女子と小人は養い難し、その辺から綻びが出来るかもしれねえ」
「ご忠告か、有難えなあ」俄に香具師は苦笑した。
「悪いことは云わねえ。機嫌を取って置きな。それには眠剤が一番いい。吹管を付けて献上して見るさ」
「うん、可いかもしれねえなあ」香具師は鳥渡頷いた。
「ではお別れとやらかそうぜ」
「おお大分遅くなった。では俺等は帰るとしよう。左様ならばご老体」
「もうお帰りか、復の逢う瀬」
「アッハッハッハッ芝居がかりだ。だが爺さんじゃあ色気がねえ」
「何んだ何んだ物を貰って、小言を云う奴があるものか」
「そこらが悪党と云うものさ」香具師は温室を出て行った。「じゃあ爺さん復来るぜ」
 老人は返辞をしなかった。
 香具師はスタスタと行って了った。
「やれやれ」と老人は呟き乍ら、寝台へトンと腰を下ろした。「俺の大役も済んだらしい」
 ヒョイと頭へ手をやった。と、白髪の鬘が取れた。その手で顔をツルリと撫でた。と、若々しい顔になった。
 三十前後の壮漢が、老人の殼から抜けて出た。

 その翌日のことであった。
 香具師はお城へ出かけて行った。
「おお香具師か、よく参った」尾張宗春は愛想よく云った。
「さて殿様」と香具師は、気恥しそうに小鬢を掻いた。「ええご愛妾お半の方様へ、献上物を致し度いので」
「ほほう」と宗春は呆れたように「これは不思議だ、どうしたことだ、お前とお半は仲悪ではないか?」
「はい左様でございます。で仲宜く致したいので」
「おお然うか、それは結構。同じ俺に仕えている者が、仲が悪くては気持が悪い。仲宜くしたいとは宜く云った。よしよしお半を呼ぶことにしよう。……これよ、誰かお半を呼べ」
 間も無くお半の方が来た。
「これはこれはお半の方様、ご機嫌よろしう[#「しう」はママ]ございます」ニタニタ香具師は
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