「誰だか見当は付いているだろうね。お半だよ、お半の方さ」
「あっ」と老人は仰天した。「これは一体何うしたことだ。何、何んだって、お半の方だって? それじゃあ尾張様のご愛妾じゃないか」口の中で呟いた。
 追っかけて女の声がした。
「お前さんの苦手のお半の方さ。だがお前という人は、妾に執っても苦手なのさ。だから今夜遣って来たのさ。と、こんな所に口があって、ゴソゴソ床下で音がする。そこで口をふさいだ[#「ふさいだ」に傍点]のさ。ホ、ホ、ホ、ホ、可い気味だよ。鼠落しを掛けた奴が、自分でそいつ[#「そいつ」に傍点]へ落っこったんだからね。ジタバタしたって最う駄目だよ。それとも無理に出るつもりなら、匕首を土手っ腹へお見舞いするよ」
「まあお待ち」と老人は云った。「私はそんな香具師じゃあ無い。人違いだよ人違いだよ」
「馬鹿をお云いな、何を云うんだ。そんな老人の作り声をしてさ。そんな手に乗るものか」
「いや本当だ、そんな者ではない。私は赤の他人なのだ。まあ其処から出しておくれ。出た上でゆっくり[#「ゆっくり」に傍点]相談しよう。旨い話なら乗ってもいい。兎に角外へ出してくれ」
「まあ是で安心したよ」女の声は嬉しそうであった。「実はね、妾は心配だったのさ。大悪党のお前さんの事だ。家にも色々からくり[#「からくり」に傍点]があろう。この口一つふさいだ[#「ふさいだ」に傍点]所で、妾の知らない他の口から、ヒョッコリ出て来ないものでもないとね。ところがお前さんの言葉つきで推すと、そんな心配は入らなそうだね。他に出口が無いと見えて出してくれ出してくれって云ってるじゃあないか。嬉しいねえ。是で安心したよ。殺すも活かすも此方のままさ。そこで掛合いも楽ってものさ。案外、お前さん凡倉だねえ」
「ううん」と老人は唸って了った。「驚いたなあ大変な女だ。とまれ愛妾のお半の方と、香具師とは関係があるらしい。どんな関係だか知らないが、俺を香具師だと信じているらしい。よしよし其奴を利用して、二人の関係を聞き出してやろう」そこで老人はこう云った。
「いや私は香具師では無い。だが香具師だと思うのなら、香具師になってやってもいい。どんな掛合いだか云ってごらん」
「そろそろ本音を吐き出したね。だが作り声は気に食わないねえ。まあそんな[#「そんな」に傍点]ことは何うでもいい。では掛合いにかかろうかね」女の声は改まった。「真先に妾は訊きたいのさ。ああ、お前さんの本当の素性を」
 老人は返辞をしなかった。

     一四

「おやおや香具師さん黙っているのね。さては云うのが厭なのだね厭なものなら無理には聞かない。では此奴は引っ込まそうよ。その代り妾の素性だって、お前さんへは話さないからね。……お次はいよいよ本問題だ。ねえお前さん何んと思って、お前さんは尾張様へ取り入ったんだい?」
 だが矢張り老人は返辞をせずに黙っていた。すると女は笑声を上げた。
「おやおや復もや無言の行だ。こいつも云うのが厭だと見える。だがね、お前さん、妾にはね、そのお前さんの目的がちゃあんと解っているのだよ。嘘だと思うなら云ってあげようか? そうだ遠廻わしに云ってあげよう。あんまりむき出しに云われたらお前さんだって可い気持はしまい。……お前さん天主閣へ上りたいんだろう? 決して人を上らせない、天主閣の頂上へさ。ホ、ホ、ホ、ホ、お手の筋だろうねえ」
 女の声は暫く絶えた。
「さて」と女の声がした。「安心おしなさいよ邪魔はしないから。お前さんの出ようさえ気に入ったら妾の方から助けてもあげよう。そうさお殿様へ口添えして、上ることの出来るようにしてあげよう。だが只じゃあ真平だよ。物事には報酬がある。そいつを妾は貰い度いのさ。つまり換っこという訳さ。ねえ、お前さん何うだろう?」
「さあ」と老人はくすぐった[#「くすぐった」に傍点]そうに「私に出来ることならね」
「そりゃあ出来るとも、お手の物なのさ」
「で、一体どんなことかな?」
「妾は人一人殺し度いのさ」
「ほほう」と老人は驚いたように云った。
「私に手助けでもしろって云うのか?」
「まあね、そうだよ、間接にはね」
「どんなことをすれば可いのかい?」
「機械を一つ造っておくれな」
「何、機械? どんな機械だ?」
「人を殺す機械だあね」
「匕首《あいくち》で土手っ腹を刳るがいいやな」
「そうしたら人に知れるじゃあないか」
「それじゃあ殺しても、殺したということの解らないような、そういう機械が欲しいのだな?」
「金的だよ、大中り」女の笑う声がした。「お前さんには出来る筈だ。人の心を見抜く機械、それを造ったお前さんじゃないか」
 老人は暫く考えていた。
「だがな」と老人は軈て云った。「機械よりも薬の方がいい」
「毒薬なら痕跡を残すだろうに」
「残らないような薬もある」
「ああ
前へ 次へ
全22ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング