めだろう。しかし、大屋根の庇に蔽われ、肝心の鯱は見えなかった。
「こいつあ見えねえのが当然だ」
 呟くと一緒に香具師は、右手を懐中へグイと入れた。引き出した手に握られているのは、端に鉤の付いた髪編紐《かみひも》で「やっ」と叫ぶと宙へ投げた。夕陽で赤い空の面へ、スーッと放抛線が描かれたが、カチンと直ぐに音がした。鉤が大屋根の剣先へ、狙い違わず掛かったのである。
「よし」と云うと香具師はピーンと髪編紐を引いて見た。大丈夫だ! 切れはしない。
「よし」と最う一度呟くと、香具師は紐を手繰り出した。手繰るに連れて彼の体は、髪編紐の先へぶら下った。実に見事な手繰り振りで、そういう事には慣れているらしい。グングン大屋根の端まで上《の》したと、片手が端へかかる、グーッと体が海老反りになる、すると最う大屋根に立っていた。
 急斜面の天主の屋根、立って歩くことは出来そうもない。腹這いになった香具師は、南側の鯱へ目星を付け、膝頭でジリジリと寄って行った。
 その総高八尺三寸、その廻り六尺五寸、近付いて見れば今更らに鯱の見事さには驚かれる。
「さて」と云うと眼を爼《そば》め、胴の鱗を数え出した。
「うん、片側百十五枚、大鱗の大きさ七寸五分、小鱗の大きさ二寸五分。……よし、これには間違いが無い。……蛇腹の数十六枚。うむ、是にも間違いが無い。……次は耳だ、異変《かわり》が無ければよいが。……右耳一尺七寸五分、左の片耳一尺八寸……やれ有難い、間違いはない。……眉の長さ一尺六寸。うむ是にも間違いが無い。……さて両眼だが何どうだろう[#「何どうだろう」はママ]? [#底本では1字分のスペースがない]……や、有難い、定法通りだ。ちゃあんと八寸に出来ていらあ。……上下合わせて十六枚の歯よし是にも間違いが無い。……北側の鯱を調べてやろう」
 屋根棟を伝わって走って行った。
 鯱の背中へふん[#「ふん」に傍点]跨《またが》り、また香具師は調べ出した。
「いや有難え、変ったことも無い」
 ホッと安心したように、こう呟いた香具師は、さすがに疲労を感じたと見え、額の汗を押し拭い、トントンと胸を叩いたものである。それから城下を見下ろした。
「絶景だなあ、素晴しい[#「素晴しい」はママ]や」
 いかにも絶景に相違無かった。
 百万石の加賀の金沢、七十七万石の薩摩の鹿児島、六十二万石の奥州の仙台、大大名の城下町は、名古
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