記]当らねえ。さっさと這入っていらっしゃい。が門からは這入れねえ。門へ障ったら龕燈返《がんどうがえ》しだ。那落の底へお陀仏だ。壁だ壁だ壁から這入りねえ。ようがすかい、向って右だ。その壁へ体を押つ付け[#「押つ付け」はママ]なせえ。それからお眼を瞑るんで。開いたが最後大怪我をする。……物事早いが当世だ。さあさあ体を押つ付け[#「押つ付け」はママ]なせえ」香具師の声が復聞えた。そうして其声には魅力があった。逆らうことが出来なかった。そこで九兵衛は云われるままに、体を壁に押つ付けた[#「押つ付けた」はママ]。そうして固く眼を瞑った。すると其壁に蛸の疣があって彼の体へ吸い付いたかのように、ピッタリ壁が吸い付いた。と思った其途端、彼は家の内へ引き込まれた。
「もう可うがす。眼を開いたり」
云われて九兵衛は眼を開いた。香具師が笑い乍ら坐っていた。
部屋の内を見廻わして、九兵衛は思わず眼を見張った。何に彼は驚いたのか? 部屋の様子が余りにも、乱雑を極めていたからであった。部屋は二つに仕切られていた。手前の部屋から説明しよう。その部屋は三方板壁であった。形から云えば真四角で、簀子張りの八畳敷で、その点から云う時は、変った所も無いのであるが、天井から様々の綱や糸や、棒や鉄棒が釣り下げられていた。そうして太い煙突が、簀子から天井を貫いて、屋根の上まで突き出ていた。と思うのは間違いで、実は夫れは煙突では無く、煙突の形をした何かなのであった。円周四尺直径一尺、総体が黒く塗られていた。そうして根元から五寸程の所に、斜めに鏡が嵌め込まれていた。
戸外に面した壁の一点に、棒のような物が突き刺されていた。その端が坐っている香具師の口の辺へ真直に突き出されていた。そうして其先が漏斗《じょうご》型をなし、矢張り黒く塗られていた。
簀子の上には様々の模型が、雑然紛然と取り散らされてあった。屋根の模型、大砲の模型、人形の模型、動物の模型、鳥の模型、魚の模型……そうして今日の飛行機の模型、そうして今日の望遠鏡の模型、そうして今日の竜吐水《ポンプ》の模型……地球儀の模型、螺旋車の模型、軍船の模型、楽器の模型、磁石の模型、写真機の模型……玩具屋の店へでも行ったように、無雑作に四辺に取り散らされてあった。
「おおおおお侍さん何うしたんだい。場銭は取らねえ。お坐りなせえ。さて小林九兵衛の旦那、ようこそおいで
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