ございます」
その言い方や涼しいものである。
「が、噂による時は、放蕩無頼の町奴あって、強きを挫かず弱きを虐げ、市民を苦しめるということだの」
「末流の者でございます」
藤兵衛少しも驚かない。
「言葉をかえて申しますれば、真の町奴にあらざる者が、ただ町奴の面を冠り悪行をするものと存ぜられます」
返答いよいよ涼しいものである。
「町奴風という異風あって、風俗を乱すということであるが、この儀はなんと返答するな?」
伊豆守グット突っ込んだ。
「これは我々町奴が、自制のためにございます。と申すは他でもなく、異風して悪事をしますれば、直ちに人の目に付きます。自然異風を致しますれば、しようと致しましても悪事など、差し控えるようになりましょうか」
「なるほど」と伊豆守頷いたが、
「その方達町奴の家業はな?」
「お大名様や、金持衆へ、奉公人を入れますのが、おおよその商売にございます」
「では大名や金持共の、よくない頼み事も引き受けて、旗本ないし、貧民どもに、刃向かうようになろうではないか」
「とんでもない儀にございます」
藤兵衛ピンと胸を反らせた。
「ご贔屓さまはご贔屓さま、なにかとご用には立ちますが、儀に外れたお頼みは、引き受けることではござりませぬ」
立派に言い切ったものである。
「さようか」と伊豆守打ち案じたが、
「では町奴と申すもの、世上の花! 仁侠児だの」
「御意の通りにございます」
「で近世名に高い、町奴といえば何者かの?」
声に応じて緋鯉の藤兵衛、ここぞとばかり大音に言った。
「近世最大の町奴、藩隨院長兵衛にございます」
「ふふん、さようか、藩隨院長兵衛?」
伊豆守、首を傾げた。
「その藩隨院長兵衛[#「藩隨院長兵衛」は底本では「藩隨長兵衛」]というもの、町人の身分でありながら旗本水野十郎左衛門に、無礼の振舞い致した由にて、水野十郎左衛門無礼討にしたはず、さような人間が偉いのか」
「申し上げます」と緋鯉の藤兵衛、この時ズイと膝を進めた。
それから云い出したものである。
「藩隨院長兵衛事一代の侠骨、町奴の頭領にございました。江戸に住居する数百数千、ありとあらゆる町奴、みな長兵衛を頭と頼み、命を奉ずる手足の如く、違《たが》う者とてはございませんでした。さてところでその長兵衛、どのような人物かと申しますに、素性[#「素性」は底本では「素情」]は武士、武術の達人、心は豪放濶達ながら、一面温厚篤実の長者、しかも侠気は満腹に允ち生死はつとに天に任せ悠々自適の所もあり、子分を愛する人情は、母の如くに優しくもあれば、父の如くに厳しくもあり、洵に緩急よろしきを得、財を惜しまずよく散じ、極めて清廉でございました。然るに」と言うと緋鯉の藤兵衛、またも一膝進めたが、
「一方水野十郎左衛門、天下のお旗本でありながら、大小神祇組、俗に申せば、白柄組なる組を作られ、事々に我々町奴を、目の敵にして横車を押され、町中においても、芝居小屋においても、故なきに喧嘩口論をされ、難儀致しましてござります。自然私共におきましても、自衛の道を講ぜねばならず、それがせり合っていつも闘争、案じましたのが長兵衛で、なんとか和解致したいものと、心を苦しめて居りました折柄、水野様より参れとの仰せ、これ必ず長兵衛をなきものにしよう魂胆と、子分一同諫止しましたところ、この長兵衛一身を捨て、それで和解が成り立つなら、これに上越す喜びはないと、進んで参上致しました結果が、案の定とでも申しましょうか。水野十郎左衛門様をはじめとし、白柄組の十数人、一人の長兵衛を切り刻み、その上死骸を荒菰に包み、むご[#「むご」に傍点]たらしくも川に流し、ご自身方は今に繁昌、なんのお咎もなきご様子、殿!」と云うと今度は藤兵衛スルスルスルスルと下ったが、額を畳へ押し付けてしまった。
6
畳へ押し付けた額を上げると、藤兵衛云い出したものである。
「長兵衛は男にございます。それに反して、水野様は、卑怯なお侍にござります」
グッとばかりに唾を呑んだが、
「天下のお政治と申すものは、公平をもって第一とする、かよう承《うけたま》わって居りましたところ男の長兵衛が犬死をし、卑怯者の水野殿は、お咎なし! 伊豆守様!」
凄まじい眼、臆せず伊豆守を睨みつけた。
「御身ご老中でおわしながら、それでよろしゅうござりましょうか! さあご返答! お聞かせ下され!」
なんと云う大胆、なんという覇気、将軍の面前老中を前にこれだけのことを云ったのである。
「うむ」とは云ったが伊豆守、なんと返答したものか当惑したように黙ってしまった。
と、その時一人の近習、伊豆守の側へ進み寄ったが何やら伊豆守へ囁いたらしい。
「は」と言うと伊豆守、一つ頷くと微笑した。
「藤兵衛」と呼んだが愛嬌がよい。
「町奴の勇ましい心意気、上様にも
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