を云うお姥こそ、我々の勢力を知らぬと見える。……と云うのはここにいる人数こそ、六十人にも不足だが、なお後から続々と、大勢の者が上洛《のぼ》るのだ、のみならず土右衛門《つちえもん》も槌之介《つちのすけ》も、衆をひきいて上洛るのだ。いやいやその上に筑右衛門《ちくえもん》までが、衆をひきいて来るのだよ」
「ふふん」と云ったものの浮木の姥はいささか胆を奪われたらしい。「よかろうよかろう幾百人でも来い。しかし我等が固めている、処女造庭の境地へは、一歩たりとも入れぬからの」
「入れぬと云っても入ってみせる。がそれは後日の問題だ。今夜はこれで別れよう」
「これ」と浮木は声を強めた。「娘をこちらへ引き渡せ」
すると左門は民弥を見たが「随分美しい娘だの。酌などさせたら面白かろう。……お気の毒だが渡されぬよ」
「是非とも渡せ! 大事な娘だ!」
「ほほうそんな[#「そんな」に傍点]にも大事かな?」
「大事な娘だ、さあさあ渡せ!」
「では」と云うと星影左門は一層意地の悪い顔をしたが、「では尚更渡されぬよ。と云うのはこいつを囮にして、我等の望みを遂げたいからさ」
ここでグルリと手下を見たが、
「さあさあ汝《おのれ》らこの娘をつれて、目的の地へ行くがよい」
もうこうなっては仕方がない、浮木はたった[#「たった」に傍点]一人である、左門の一党は多勢である。
「娘を渡せ! 娘を渡せ!」
浮木の叫ぶのを意にも介せず、
「どうぞお許し下さいまし、家へ帰らして下さいまし」
こう云う民弥の言葉も聞かず、大盗茨組の一党は、民弥を数人で宙につるし、悠々として山路を下り、京都の町へ入ったが、そのまま行方《ゆくえ》をくらませてしまった。
29[#「29」は縦中横]
が再びそれが現われた時には、南蛮寺の前に立っていた。
ところが茨組の一党の後から、ひそかに歩いて来た少年があった。他ならぬ猿若である。その猿若は小北山における、例の乱闘の場《にわ》から遁れ、京都の町へ入り込んだが、民弥のことが気にかかってならない。で、その消息を知ろうとして、この時洛中を歩いていたのであったが、見れば異様な野武士たちの中に、民弥が捕らえられているではないか。これは大変と思いながら、民弥の安否を見届けようと、その後からつけて来たのであった。
「これが有名な南蛮寺か」
「いや立派な伽藍ではある」
「作《つくり》も随分変わっているなあ」
「莫大な費用がかかっているらしい」
賊どもは互いに呟いている。
蒼白くひろがった月光の中に、尖塔を持ち円家根《まるやね》を持ち、矗々《すくすく》と聳えている南蛮寺の姿は、異国的であって神々しい。
夜が相当深いので、往来を通る人もなく、夜警にたずさわる検断所の武士も、他の方面でも巡っているのであろう。ここら辺りには見えなかった。
「噂によれば南蛮寺には、大変もない値打ちのあるものが、貯えられているということだが、どうぞして内《なか》へ忍び込み、そいつをこっちへ奪いたいものだ」
こう考えたは一党の頭、すなわち星影左門であったが、手下の者を見廻した。
「誰でもよいから囲《かこい》を乗り越し、内の様子を探って来い」
つまり命令を下したのである。
いつもは我武紗羅《がむしゃら》で命知らずで、どんな処へでも出かけて行く――そういう手下ではあったけれど、今度ばかりはどうしたものか、左門の云い付けを聞こうともしない。顔を見合わせて黙っている。
それには理由があるのである。
始めて眼にした南蛮寺、構造《つくり》がまるで異っている。うかうか内へ入った処で、内の様子を探ることが、覚束ないように思われる。それに第二に何と云っても、神々しい宗教的建物である。じっ[#「じっ」に傍点]と見ていると敬虔の念が、自然と心に湧くのである。
で、どうにも入り込みにくい。
で、一同黙っている。
「ふん」と云ったのは星影左門で、改めて手下を見廻したが、「行くものがないのか、臆病な奴等だ。よしよしそれなら頼まない。この俺が自分で出かけて行こう」
そこで鉄棒を小脇にかかえ、スルスルと門際へ歩み寄ったが、その星影左門さえ、結局寺内へは踏み入ることが出来ず、その上娘の民弥をさえ、捨ててしまわなければならないような、意外な事件にぶつかってしまった。
と云うのは突然門の内から、かつて一度も聞いたことのない、微妙な不思議な音楽の音色が、さも荘厳に湧き起こり、続いて正面の門が開き、そこから数本の松火を持った、数人の男が現われたが、それに守られた一人の老人が、「民弥よ民弥よ、恐れるには及ばぬ、悩《なやみ》ある者は救われるであろう、悲しめる者は慰められるであろう」
まずこう云ってから賊どもを見廻し、「ああ汝等も救われるであろう。改心をせよ、改心をせよ、一切悪事というものは、改心によって償われる、まず手はじめにすることは、捉えている娘を離すことだ、そうしてこっちへ手渡すがよい! そうして坐れ、土の上へ! そうして拝め、唯一なる神を!」
こう云って威厳のある眼を以て、次々に賊共を睨んだので、賊共は等しく胆を潰し、民弥を放すと一同揃って、大地へひざまずいたからである。
で、民弥は小走ったが、その老人の袖へ縋った。
「ああ貴郎《あなた》様はオルガンチノ[#「オルガンチノ」は底本では「オンガンチノ」]様!」
「民弥か、おいで、怖れることはない」
「はい有難うございます。どうぞお助け下さいまし」
で、民弥とオルガンチノとは、門を潜《くぐ》って寺内へ入った。
と、すぐにその後から、猿若少年が飛び込んだ。民弥を慕って飛び込んだのである。
やがて門は内から閉ざされ、松火も隠れ音楽も消え、あたりは全く寂静《ひっそり》となった。
だがもし誰か民弥達と一緒に、南蛮寺の寺内へ入って行ったなら、その寺内の一室から、民弥とそうしてオルガンチノとが、次のように話していることを、耳にすることが出来たろう。
「おお、まアそれではお父様が!」
「見られる通りの有様でござる」
「お父様! お父様! お父様!」
「静かになされ、静かになされ!」と。……
30[#「30」は縦中横]
処女造庭境とは何物であろう?
衣笠山から小北山、鷹ヶ峰から釈迦谷山、瓜生山から白妙山、その方面の山林地帯へ、種々様々の迷路を設け、またいろいろの防禦物を作り、都の人間を入れないように、造を構えた地域であって、特に男性を入れないようにしたのと、それを作った頭なるものが、美しい処女であったのとで、処女造庭境というような、物々しい名をつけたまでで、特別の境地ではなかったのである。つまり自然を利用した、一個の広い砦なのであった。
その頭は何という女か? 唐姫《からひめ》という女である。その唐姫とは何物であるか? 織田信長に滅ぼされたところの、某《なにがし》大名の息女なのである。で、父の仇を討とうがため、すなわち信長を討とうがため、都近くのそんな所へ、そのような自然的砦を設け、旧《もと》の家臣を庭師風に仕立て、一緒に住んで虎視眈々、様子を窺っていたのである。
で、ここは処女造庭境の神明づくりの社の前である。
二人の男女が縛られて、大地の上に据えられている。
猪右衛門《ししえもん》とそうして玄女《げんじょ》である。
森右近丸《もりうこんまる》に追いかけられ、処女造庭境まで逃げて来て、処女造庭境の人達に、捉えられて縛られてしまったのである。
ところで今はいつかというに、民弥が南蛮寺へ入り込んだ、そのおんなじ夜なのである。
「いつ迄縛って置くのだろう。どうにもこうにもやりきれないなあ」こう云ったのは猪右衛門。
「ほんとにほんとにどうする気だろう」こう云ったのは玄女である。
「とうとう人形も取られてしまった」
「犬さんが骨を折りまして、鷹さんに取られたというものさ」
「取った鷹さんはよかろうが、取られた犬さんはつまらない」
「その犬さんが私達さ」
「酷《ひど》い目にこそ逢いにけり」
「もっと酷い目に逢うかもしれない」
「もうこれ以上は御免だよ」
「どだいお前が悪いのだよ」玄女が猪右衛門をやっつけた。
「ううんお前がよくないのさ」
「ナーニお前がよくないのさ、と云うのは道草を食っていたからさ、人形を盗んだら大急ぎで、飛び帰ってくればよかったのに」
「と云うことが云えるなら、俺の方にだって云分《いいぶん》はある。人形はお前へ渡したはずだ、あの時サッサと逃げ帰ったら、こんな不態《ぶざま》には逢わなかったはずだ」
「何だか知らないがお前が悪い!」
「何だか知らないがお前が悪い!」
「いいえさ、お前だ!」
「何のお前だ!」
人間が逆境に落ち込むと、仲好し迄が喧嘩をする。例えに洩れずというのでもあろう、玄女と猪右衛門とは争い出した。
やがて二人は掴み合いをはじめ、互いに咽喉を締め合った。そうして二人ながら死んでしまった。
ところがこの頃社務所の中の、燈火《ともしび》の明るい部屋の一つで、三人の男女が話し合っていた。
唐姫と右近丸と浮木である。
「……と云うわけでございまして、民弥殿を目付けはしましたが、惜しいところで茨組共に、奪い去られましてございます。使命をお果しすることが出来ず、何とも申しわけござりませぬが、事情が事情ゆえ特別を以て、何卒お許し下さいますよう。……それはそれとして民弥殿は、お可哀そうにも茨組共に、連れて行かれたのでございます。ところで茨組と来た日には、ご存知の通りのあばれもの[#「あばれもの」に傍点]。で、民弥殿のお身の上、心元のう存ぜられます。と云ってはたして茨組共は、どこに根城を構えていて、どこへ民弥殿を連れて行ったものやら、これさえ今のところ一向わからず、いよいよ心元のうございます」
こう云ったのは浮木である。
民弥を探して探しそこなった、その事情を話しているのである。
「困ったことになりましたねえ」
こう云ったのは唐姫で、チラリと右近丸の顔を見た。
右近丸は黙ってうつ向いている。その顔色は蒼白い。頬が痙攣を起こしている。感動をしている証拠である。民弥が賊に奪われたと、そう聞いたので心配し、それが痙攣を起こしたのであろう。
部屋の中は清らかである、だがたくさんの武器がある。鉄砲、刀、槍、弓矢、……紙燭《ししょく》の光に照らされて、その一所はキラキラと輝き、一所は陰影《かげ》をつけている。
三人しばらくは無言であった。
で、部屋の中は静かであった。
31[#「31」は縦中横]
だが唐姫《からひめ》が口をひらき、次のようなことを云い出したためその静けさは破られた。
「茨組と云う賊共は、父の旧家臣にございます。その頭の名は星影左門《ほしかげさもん》、以前から妾《わたくし》を妻にしようと、狙っていたものにございます。で、左門の目的は、民弥《たみや》殿でなくてこの妾《わたし》。で、民弥殿の御身上は、まず大丈夫と思われます。それはそれとして唐寺の謎は、半分解くことは出来ましたが、後の半分は解けませぬ。そこで貴郎《あなた》様にお願い致します。山を下り京都《みやこ》へ行き、南蛮寺へおいでになり、多聞兵衛殿の死骸を掘り出し、その左右の胸を調べ、唐寺の謎をお解き下さいまし」
そこで右近丸は立ち上ったが、そのまま社務所から外へ出た。
月のあきらかな山路を、京都の方へ下って行く。
案内役は銅兵衛である。松火を持って先へ立った。
造庭境の出口へ来た。
「これでお別れいたしましょう」
「ご苦労でござった。では御免」
一人となった右近丸は、京都の方へ下って行く。
「酷《ひど》い目に逢えば逢ったものだ」心の中で考えた。「処女造庭境の連中まで、唐寺の謎を解こうものと、苦心していたとは知らなかったよ」
いろいろのことを思い出した。
玄女と猪右衛門とを追っかけて、処女造庭境へ入り込んだこと、そこの住民に捉えられたこと、今日迄監禁されたこと、しかし優待されたこと、玄女や猪右衛門の手許から、処女造庭境の連中が、例の人形を奪ったこと、そこで自分が申し出て、人形の眼を押させたこと、すると人形が叫んだこと、
「唐
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