飛んで行った。
「大変だ大変だ。逃げて行く! ……おっ、一人は小僧ッ子だ!」
「どれどれ」と一ツ目も覗いたが、「一人は民弥だ! 一人は猿若!」
「それじゃア猿若が裏から忍んで、助け出したに違いない! とんでもない小僧だ、うっちゃっては置けない」
 バタバタと駈け下りた人買共は階下へ下りると叫び立てた。
「親方、やられた、攫われた!」こう云ったのは勘八である。

「何を!」と立ち上ったは柏野の里の桐兵衛、「何だ何だどうしたんだ?」
「何だじゃない、大変だ、あの小僧ッ子の猿若めが、民弥を攫って行ったんだよ!」
「え、ほんとうか、途方もねえ話だ! あんな素晴らしい上玉を、あんな小倅に横取られた日にゃア、俺らの商売は成り立たない! さあさあ皆な追っかけろ!」
「それ!」と云うと人買共は親方の桐兵衛を真先に、裏口から一散に走り出したが、もうこの頃には民弥と猿若は、数町のあなたを走っていた。
「さあさあ民弥さん、お走りお走り! ぐずぐずしていると取っ捉まる。取っ捉まったらもういけない。それこそ酷い目に逢わされる。売られるだろう売られるだろう。それも遠くへ売られるのだ。二度と都へは帰れない。……おやいけない。足音がする。あッいけない追っかけて来る。力一杯逃げたり逃げたり!」
 で、二人は走って行く。
 この辺りは郊外で人家に乏しく、林や藪が立っている。すなわち小北山の山脈で、道らしい道も出来ていない。たとえ助けを呼んだところで、助けにやって来る人はない。でどうしてもひた走って、町の方へ出なければならないのである。
 おりから月夜で物の影が見え、逃げて走るには不便であった。隠れることもむずかしく、横へ反れることもむずかしい。でどこ迄も逃げなければならない。
 南へ走れば町へ出られる。東へ走っても町へ出られる。だがもし北の方へ走ろうものなら、南鷹ヶ峰の山地となり、そうして西の方へ走ろうものなら、小北山から衣笠山となり、同じく町へは出られない。

26[#「26」は縦中横]

 ところが人買の追手達は、東の方から走って来る。だから東へは逃げられない。どうでも南へ逃げなければならない。ところがそっちへも逃げられなかった。と云うのは人買の追手共が、にわかに同勢を二つに分け、一手が南へ廻ったからである。で二人は残念ながら、西へ西へと逃げることになった。
 一人は子供で一人は娘、足の弱いのは知
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