ちへ来い!」
 そこで二人はひた走った。とまた一方から声がした。
「こっちだこっちだ、こっちへ来い!」
 そこで二人は方向《むき》を変え、声のする方へひた[#「ひた」に傍点]走った。
 とまた一方から声がした。「こっちだこっちだ、こっちへ来い!」
 そこで二人は方向を変え、声のする方へひた[#「ひた」に傍点]走った。
 すると今度は八方から、嘲ける声が聞えてきた。「こっちだこっちだ、こっちだこっちだ!」
 怒りを発した右近丸は今は平素の思慮も忘れ、ひたむきに一本の道を辿り、サーッばかり[#「サーッばかり」はママ]にひた走ったが、ハッとばかりに気が付いて立止まって背後《うしろ》を振り返ったが、「南無三宝! 民弥殿が見えぬ」
 ――民弥とはぐれて[#「はぐれて」に傍点]しまったのである。
 さてその翌日のことである、一人の女が物思わしそうに、京都の町を彷徨《さまよ》っていた。

20[#「20」は縦中横]

 ほかでもない民弥《たみや》である。
 どうしてさまよっているのだろう?
 右近丸《うこんまる》を探しているのであった。
 それは昨夜《ゆうべ》のことであったが、洛外北山の山の中で、不思議な迷路へ迷い込み、気が付いた時には右近丸の姿は、どこへ行ったものか見えなかった。で苦心して道を辿り、京都の町へ帰って来て、自分の家へ戻ったが、右近丸のことが気にかかってならない。
 が、ああいう親切なお方だ、今日は訪ねて下さるだろうと、心待ちに待っていたのであったが、今迄待っても姿を見せない。そこで目当てはなかったが、とにかく町へ出てお探ししてみようと、今彷徨っているのであった。
 ここは室町の通りである。午後の日が華やかに射している。道も明るく、家々も明るく、歩いている人も明るかったが、民弥の心は暗かった。
 全く宛がないのであった。
 どこへ行ってよいか解《わか》らないのである。
 まるで放心したように、歩く足さえ力なく、ただフラフラと歩いて行く。
 先刻《さっき》から民弥のそういう姿を、狙うように見ている男があった。
 年の頃は六十前後、半白《はんぱく》の頭髪《かみのけ》、赭ら顔、腰を曲げて杖を突いているが、ほんとは腰など曲がっていないらしい。鋭い眼、険しい鼻、兇悪な人相の持主である。
 それが民弥へ話しかけた。
 が、話しかけたその瞬間、老人の顔は優しくなった。故意《わざ》
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