り紙を持って、四辺《あたり》の風景を猟《あさ》り廻った。
銅銭会茶椀陣
しかしよい歌は出来なかった。別れた女のことばかりが、胸のうちにこだわ[#「こだわ」に傍点]っていた。もちろん女と別れたことも、彼には随分寂しかったが、その女を取った者が、田沼主殿頭だということが、一層彼には心外であった。というのはほかでもない、彼の父なる小左衛門が、わずか式第の仕損《しそこな》いから主殿頭に睨まれて役付いていた鍵奉行から、失脚させられたという事が、数ヵ月前にあったからであった。
「側御用人の小身から、将軍家に胡麻《ごま》を磨り老中に上がって七万七千石、それで政治の執り方といえば上をくらまし下を搾取、ろくなことは一つもしない。憎い奴だ悪い奴だ」これが彼の心持ちであった。
「一向三崎も面白くないな。どれそろそろ帰ろうか」
空の吟嚢を胸に抱き、弓之助は江戸へ引っ返した。
最初の予定が五、六日、それを二日で切り上げたのであった。
ある日弓之助は屋敷を出た。上野の方へ足を向けた。花の盛りは過ぎていたが、上野山下は景気立っていた。茶屋女が美しいので、近ごろ評判の一|葉《は》茶屋で、弓之助
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