いそくぎょく》」となりますそうで」
「ははあなるほど、そうであったか。扁を取ったり旁《つくり》を取ったり、色々にして造った字だな。いかさまこれでは解らないはずだ」
「さてそこで白旗様、どうして昨夜はこの屋敷へ、忍び込まれたのでございますかな?」
するとクルリと弓之助は、女勘助の方へ体を向けた。
「おい勘助、偉いことをやったな。森の中でよ、社の森で」
「えっ」と勘助は胸を反《そ》らせた。「へえ、お前さんご存知で?」
「あんまり見事な業《わざ》だったので、後からこっそり尾行《つけ》て来た奴さ」
「あっ、さようでございましたか」女勘助は手を拍った。「そこでこの屋敷へ忍び込んだので?」
「そうさ天明の六人男、そいつがみんな[#「みんな」に傍点]揃ったとあっては、ちょっと様子も見たいからな」「ああこれで胸に落ちた」こう紫紐丹左衛門がいった。
北町奉行所の役宅であった。
その一室に坐っているのは、奉行曲淵甲斐守であった。銅銭会縁起録が開かれたまま、膝の上に乗っていた。
「往昔《おうせき》福建省福州府、浦田《ほだ》県九連山山中に、少林寺と称する大寺あり。堂塔|伽藍《がらん》樹間に聳え、人をして崇敬せしむるものあり。達尊爺々《たつそんやや》の創建せるも技一千数百年の星霜を経。僧侶数百の武に長じ、軍略剣法方術に達す。
康※[#「熈」の「ノ」に代えて「冫」、第3水準1−87−58]《こうき》帝の治世に西蔵《チベット》叛す。官軍ことごとく撃退さる。由《よ》って皇帝諸国に令し、賊滅するものを求めしむ。少林寺の豪僧百二十八人、招に応じて難に赴《おもむ》く。国境に至りて大いに戦い、敵国をして降を乞わしむ。皇帝喜び賞を与え僧を少林寺に帰さんとす。隆文耀《りゅうもんよう》、張近秋《ちょうきんしゅう》、二人の大官皇帝に讒《ざん》し、少林寺の僧を殺さしむ。
兵を発して少林寺を焼く、蔡徳忠《さいとくちゅう》、方大洪《ほうたいこう》、馬超興《ばちょうこう》、胡徳帝《ことくてい》、李式開《りしきかい》の五人の僧、兵燹《へいせん》をのがれて諸国を流浪し同志を語らい復讐に努む。すなわち清朝を仆さんとするなり。この結社を三合会また一名銅銭会と称す」
これがきわめて簡単な、銅銭会の縁起であって、今日に至るまでの紆余曲折が詳しく書物《ほん》には記されてあった。
「公所(大結社)」のことや「会員」のことや「入会式」のことや「誓詞」のことや「諸律法」のことや「十禁」の事や「十刑」の事や「会員証」のことや「造字《つくりじ》」のことや「隠語」のことや「符牒」のことや「事業」の事や「海外における活動」のことについても、かなり詳しく記されてあった。
しかし、将軍家紛失に関しての、暗示らしいものは記されてなかった。
とまれ非常な大結社で、支那の政治にも戦争にも、また外交の方面にも、偉大な潜勢力を持っていることが、記録によって窺《うかが》われた。のみならず印度《インド》や南洋にある、百万近くの支那人のうち、過半以上は会員として、働いていることも記されてあった。
それと同時に会員のうちには、不良分子も潜在していて、悪いことをしているということも、支那人以外にも会員があって、気脈を通じているということも、相当詳しく記されてあった。
京師殿と甲斐守
「恐らく今度の事件なるものは、日本における会員の、不良分子の所業《しわざ》であろうが、どういう径路で将軍家をどうして奪ったかわからない。どこに将軍家を隠しているか、それとも無慚に弑《しい》したか、これでは一向見当が付かない。……一人でもよいから銅銭会員をどうともして至急捕えたいものだ」
甲斐守は沈吟した。
その時近習がはいって来た。
「京師殿と仰せられるご老人が、お目にかかりたいと申しまして……」
「何、京師殿、それはそれは。叮嚀《ていねい》にここへお通し申せ」
近習と引き違いにはいって来たのは、両国橋にいた老人であった。
「おおこれは京師殿」
「甲斐守殿、いつもご健勝で」
二人は叮嚀に会釈した。
「さて」と京師殿は話し出した。「銅銭会の会員ども、今夜騒動を始めますぞ」
「何?」と甲斐守は膝を進めた。「銅銭会の会員がな? してどこで? どんな騒動を?」
「今夜五更花川戸に集まり、ある家を襲うということでござる。同勢おおかた三百人」
両国橋での出来事を、かいつまん[#「かいつまん」に傍点]で京師殿は物語った。
「銅銭会員にご用ござらば、即刻大至急にご手配なされ、一網打尽になさるがよかろう」
「よい事をお聞かせくだされた。至急手配を致しましょう」
「何か柳営に大事件が、勃発したようでございますな」
「さよう、非常な大事件でござる。実は一昨夜上様が……」
「いやいや」と京師殿は手を振った。
「愚老は浮世を捨てた身分、
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