もお供致しましょう」
「今はならぬ、やがて参れ――そこでお前に頼みがある。馬を二頭送ってくれい〈山風〉と〈野風〉の二頭をな」
「かしこまりましてござります」――斯う云うと主水は頭を下げたが其時、鎧の音がした。
眼を上げて見ると人影は無く、深い木曽川の谷の上を、ぐるぐるぐるぐるぐる廻わりながら、霧で出来たような三本の柱が、対岸を指して飛んで行ったが、それも間も無く見えなくなった。
「深い縁《えにし》があればこそ、お眼にもかかれお言葉をも賜わったのだ」
嬉しさと悲さをコキ雑ぜた複雑の思いに浸り乍ら彼は合掌したのであった。
翌朝館へ駆着けた時は既に納棺も済んでいた。昨夜の有様を披露した後、急いで厩舎へ走って行き、二頭の馬を索き出すと、まだ十足とは歩かない中に二頭ながら倒れて呼吸絶えた。
神妙の殉死と云わなければならない。
二
「今はならぬ!」と明瞭《はっき》りと先生から殉死を止められた主水は、心ならず、新主に仕えた。
誰がために見せる前髪ぞと、蘇門の百ヶ日が済んだ時、彼は惜気無く剃り落した。英落点々白芙蓉、紅も白粉も剥《ぬ》ぎすてた雅びて凛々しい男姿は又一段と立ち勝って見えた。
蘇門ほどではなかったけれど、新主も賢明の人物であった。先考の愛臣というところから自然主水へ眼をかけた。従って同僚には嫉妬された。
「稚子[#「稚子」は底本では「雅子」]侍の分際で……」勿論陰では公然に、而て時々は面と向かって同僚達は嘲笑った。彼には夫れが耐えられない。
不快の間に三年を経た。其時勘忍の緒を切らした。
城外八沢の橋の上で日頃怨ある同僚二人を決闘の後討取ったのである。彼も数ヶ所の薄手を受け、返り血を浴びて紅斑々|髻《たぶさ》千切れた凄じい姿で目付衆の屋敷へ宣り出た、切られた二人の其一人は、家老宮地源左衛門の四男、もう一人は大脇文右衛門の二男で文右衛門は功労ある地方奉行であった。
事は忽《ゆるがせ》には出来なかった。「先ず切腹」と定られた。併し殿は斯う云われた。「私闘の罪は許すことはならぬ。但し、主水ただ一人へ、二人同時にかかったということだ」
助けよという意味が言外にあった。そこで主水は秩禄没収追放ということになったのである。
情ある友に送られて、住みなれた領内を出た時には、さすがに後が返り見られた。先生の形見と懐中にしたのは清音楼集一巻である。
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