その翌日のことであったが、細川侯の下邸から五挺揃って女乗物が粛々として現われた。乃信姫様がお付を連れて上野へお花見においでなさるのである。
 この当時の上野山内は一品親王輪王寺宮《いっぽんしんおうりんおうじのみや》が、巨然としておいで遊ばしたので神《かん》寂びた岡がますます神寂び、春が来れば桜の花が緑樹の間に爛漫と咲き得も云われない景色ではあったが、墨堤《すみだ》や小金井と事変わり仮装や騒ぎが許可《ゆるさ》れなかったので、花見る人は比較的少なく常時《いつも》お山は静かであった。で、大名の奥向などでは花見と云えば例外なしに上野の山へ出かけたものである。
 行列は極めて小人数であったが、さて山内へ着いて見ると、小袖幕で囲い設けた立派な観桜席《せき》が出来ていて、赤毛氈に重詰の数々、華やかな茵《しとね》、蒔絵の曲禄、酒を燗する場所もあり、女中若侍美々しく装い、お待ち受けして居た所から、ワッと一時に陽気になった。
 姫は設けの上座へ着き、老女|楓《かえで》、同じく松風、続いてズラリと順序を正し、老けたる者若き者、綺羅星のごとくに居溢れたので、その美しさ花に劣らず、物言うだけが優である。
「さあさあ今日は無礼講、芸ある者は遠慮なく芸を見せてくれるよう」
 酒が一渡り廻った頃、この乃信姫は仰せられた。
「さあさあお許しが出でました。三味線、琴、芝居声色、何でもよいから芸ある方は、出し惜みせずお出しなされ」
 いつも渋い顔をして睨んでばかりいる老女迄が、今日は愛相よくこういうので、待っていたとばかり女中共、芸尽くしを遣り出した。
 義太夫、清元、常磐津から、団十郎の連詞《つらね》の口真似、阿呆陀羅経からトッチリトン、安来節から出雲節、芸のない奴は逆立をする。お鉢叩きに椀廻し、いよいよ窮すると相撲を取る。越後の角兵衛逆蜻蛉、権兵衛が種蒔きゃ烏がほじくる、オヤほんとにどうしたね、お前待ち待ち蚊帳の外、十四の時から通わせていまさら厭とは胴欲な、……などと大変な騒ぎになった。笑声、歓語、泣き出す奴もある。――こいつヒステリーに相違ない。
「エッサッサ、エッサッサ」
 泥鰌掬いが始まった。
 姫は余りの可笑《おか》しさに、座にもいられず供一人連れ、小袖幕をヒラリと刎ね、囲いから外へ忍び出た。
「お菊や、どっちへ行って見ようね」
 供の腰元を振り返る。
「はい、お姫様のよろしい方へ」
「静か
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