る。勝れた武辺者はあるまいかとな。今は天保、浮世は飢饉、そのためでもござろう、腕の出来るご仁に、不幸、一人もぶつかり[#「ぶつかり」に傍点]ませんでしたよ。ところが今夜ゆくりなく、ぶつかり[#「ぶつかり」に傍点]ましたなア御貴殿に。……そこで、すっかり喜んだという次第。そこで、士官をお薦めするという次第。……そうは云っても藪から棒に、無闇と士官をお薦めしても、貴殿にはおそらく烏乱に覚《おぼ》され、御承引を手控えなされようもしれぬ。これは御理《ごもっとも》、当然でもござる。それでまず何より拙者の身分を、お打ち明け致すのが順当でござるが、まあまあそれははぶく[#「はぶく」に傍点]として、ただし、姓名だけ申しましょうかな。鮫島大学《さめじまだいがく》と申します。それより何より禄の方をな、定めることに致しましょう。一日五両はどうでござる」
 ここまで云って来て黒鴨の武士は、ヒョイと二三歩下ったが、首を傾げると覗くようにした。
「ただし……」と云うと黒鴨の武士は、今度は二三歩前へ出た。
 と、例によって囁くような声で、
「ただし、仕事はちと[#「ちと」に傍点]困難、と云っても貴殿の腕前なら、勿論
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