「南無三宝! 行き止まりだ!」
まさしく露地は行き止まり、その正面に格子造りの、粋な二階家が立っていた。
「ううむ」と唸ったが岡引の松吉は、早くも決心をしたらしい。飛びかかると格子をソロリと開け、それを閉じると穿物《はきもの》を脱ぎ、懐中《ふところ》に入れたが敏捷である、障子を開けると辷《すべ》り込んだ。
「だアれ!」と直ぐに声がして、つづいて隣部屋から現われたは、風俗《なり》で解る、女役者であった。
「太夫、頼む、かくまって[#「かくまって」に傍点]くれ!」
ちょうどその日のことである。時刻は午後三時頃でもあろうか、所は蔵前の表通り、そこに立っている加賀屋の店へ、しとやかに入って来た若侍があった。
「拙者は宇和島と申す者、当家御主人にお目にかかりたく、大阪表よりまかりこしてござる、よろしくお取次ぎ下さいますよう」
若侍は奥へ通された。
17[#「17」は縦中横]
「町役人の方が参りまして、主人に逢いたいと申しました。そこで丁寧に奥の間へ通し、その旨を主人に申しましたところ、早速主人はそのお方にお逢いし、しばらくお話しして居りましたが、私は手代のことではあり、その場にも居らず、立聞きもせず、店へ参って居りますと、やがてそのお方がお帰りになり、主人も送って出られましたが、その時の主人の顔の様子が、変わって居りましてございます。不安の気持とでも申しましょうか、そんなようなものが顔に見え、おどつ[#「おどつ」に傍点]いていたのでございますが『困った奴だ! 源三郎め! これが本当なら勘当ものだ! えいこうしてはいられない! 調べてやろう! 調べてやろう』と、呟いたものでございます。……それから奥へ入りましたが、どうしたものでございましょうか、それっきり姿が消えましたので、一同大きに驚きまして、諸所方々を探しましたが、今にかいくれ[#「かいくれ」に傍点]知れませんような次第、裏木戸から外へでも出ましたものか、錠が破壊《こわ》れて居りました。……しかも、その晩には若旦那にも、家へ帰っておいでなされず、いまだに帰られないのでございます。……そういう不思議な出来事が、一度に起こって参りましたので、お可哀そうにもお嬢様には。……」
こうここまで云って来て、手代の長吉は口を噤んだ。
と云うのは側《そば》にお嬢様が――すなわち品子という十八の娘が、放心したような顔をして、茫然《ぼんやり》坐っていたからである。
ここは加賀屋の奥まった部屋で、三人の人物が対座している。
手代の長吉と娘の品子と、そうして今しがた訪ねて来た、宇和島鉄之進という若侍である。
「なるほど」と云ったのは宇和島という武士で、当惑を顔へ現わした。
「いや左様なお取り込みとも存ぜず、お訪ねしてかえって失礼をいたした。拙者は大阪表より――平野屋と申す大家より、大切の品物をあずかって、持参いたしたものでござるが、御主人が不在とあって見れば、その品物は渡し難く、一旦宿元へ持ち帰りましょう。……しかしそれにしても、御主人の行方の、一日も早く知れますよう、願わしいものでございます」
そっと品子を見やったが、
「品子様とやら御心配でござろう。しかし心をしっかりと持たれ、決してお取り乱しなされぬよう」
こうは云ったが心の中では、
「可哀そうに少しく上気して居る。こじれ[#「こじれ」に傍点]ると発狂もしかねまい」
「それでは御免」と立ち上った。
「主人在宅でございましたら、お扱い様もございますのに、この様な有様でございますれば……」
気の毒そうに長吉が云った。
「いやいや何の、心配は御無用」
「それでは、ただ今のお住居《すまい》は?」
「神田神保町の若菜屋でござる」
云いすてると宇和島鉄之進は、事情を審しく思ったのであろう、小首を傾げながら座を立った。
そこで、長吉は送って出たが、後に残った品子という娘が、不意に甲高い声を上げた。
「妾《わたし》には解《わか》る! 殺されていなさる! おお、お父様もお兄様も!」
フラフラと立つと眼を抑えた。
「お久美様の祟りだ、お久美様の祟りだ!」
フラフラと部屋から外へ出た。
水に螢をあしらった、京染の単衣が着崩れてい、島田髷さえ崩れている。後毛のかかった丸形の顔が、今はゲッソリ痩せている。優しく涼しい眼だったろう、それが一方を見詰めている。
足許さだまらず歩いて行く。
やがて襖をスルリと開けた。
「宇和島様!」と不意に呼んだ。
「綺麗な綺麗なお武家様!」
それからまたも甲高く、
「献金いたすでございましょう! お久美様お久美様お助け下され!」
また襖をスルリと開けた。奥庭の方へ行くのでもあろう。
その時衣摺れの音がして、すぐに一方の襖が開いたが、その風俗《みなり》で大概わかる、どうやら品子の乳母らしい、四十ぐらい
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