いませんか、どんな恰好でございましたかね?」
「へい?」と云ったものの番頭は、何の意味だが解らないらしい。
「何さ、昨夜《ゆうべ》の泊り客のことで。詳しく話していただきましょう」
「あ、その事でございますか。はいはいお話し致しますとも」
そこで番頭は話し出した。
「ずっと夜更けでございましたが、門を叩くものがございましたので、開けて見ますと加賀屋の提燈、手代風のお方が五六人、ゾロゾロ入って参りましたが、『大切のお客様でございますから、丁寧にあずかって下さるように』と、かように申してお連れして来ましたが、二十五六のお武家様で、宇和島様だったのでございますよ。本来なればそんな[#「そんな」に傍点]夜更け、お断りするのでございますが、名に負う加賀屋様の御紹介ではあり、立派なお武家様でございましたので、早速この座敷へお通し申し……」
「今朝まで安心していなすったので?」
「へいへい左様でございます」
「ええと、所で云う迄もなく、その加賀屋の手代衆は、お引き取りなすったでございましょうね?」
意味ありそうな質問である。
「はい……いいえ……お一人だけは……」
「え?」と松吉は訊き咎めた。
「一人どうしたと仰有《おっしゃ》るので?」
「お泊まりなすったのでございますよ」
「変ですねえ。……どこへ泊まりました」
「隣りのお部屋でございます」
「宇和島という侍の隣り部屋で?」
こう訊いた松吉の声の中に、鋭いもののあったのは、何かを直感したからだろう。
「はいはい左様でございますよ」
「それで、只今《ただいま》もおいでなさるので?」
「それが明け方、暗い中に、お帰りなすったと申しますことで」
「お前さんそいつ[#「そいつ」に傍点]を御存知ない?」
「家内中寝込んで居りましたので……」
「どなたが表の戸を開けましたかい?」
グッと鋭く突っ込んで訊いた。
「寝ずの番の女中のお清という女で……」
「ちょっと聞きたいことがある、お清という女中を呼んで下せえ」
間もなく現われたお清という女中は、年も若いし、ぼんやり者らしく、それに昨夜の寝不足からだろう、眼など真赤に充血させていたが、御用聞に何かを訊かれるというので、ベッタリ縁へ膝をつくと、もうおどおどと脅え込んでいた。それと見て取った松吉は、恐がらせては不可《いけ》ないと、こう思ったに相違ない、丁寧な調子で話しかけた。
「今朝方帰ったという加賀屋さんの手代、何か持ってはいませんでしたかえ?」
「へい」とお清は考え込んだが、
「何にもお持ちではございませんでした」
「ふうん」と云ったが首を傾げた。
「痩せていましたかえ、肥えていましたかえ? 何さ、着ふくれ[#「ふくれ」に傍点]ちゃアいませんでしたかね?」
「へえ」と又もや考えたが、
「気がつきませんでございました」
だがもう一度考えると、
「そう仰有《おっしゃ》ればそんな[#「そんな」に傍点]ようで、着ふくれ[#「ふくれ」に傍点]ていたようでございますよ」
「廊下には行燈でもありましたかね? 玄関には無論あったでしょうね?」
「それがホッホッと消えましたので」
意外のことを云い出した。
「うむ」と云ったが丁寧松は、チラリと明るい眼付をした。何か暗示を得たようである。
「どっちが先立って行きましたね?」
「お客様がお先へ参りました」
「こう何となく反り返って、お辞儀なんかはしなかったでしょうね?」
こう云ったが笑い出した。
「こいつァ無理だ、訊く方が無理だ、寝ずの番だって人間だ、夜っぴて起きていた日にゃア、明け方には眠くなるからねえ、そんな細かい変梃なことに、気の付くはずはありゃしない。いや有難う、御用済みだ……。ところで」と云うと丁寧松は、番頭の方へ顔を向けたが、
「気を悪くしちゃア不可《いけ》ませんぜ」
一層声を押し低めたが、
「あれが評判の開けずの間だね?」
築山の横に木立に囲まれ、立っている古々しい離れ座敷へ、頤を向けて訊いたことである。
「へい左様でございます」
「どれちょっくら[#「ちょっくら」に傍点]拝見して来よう。ナーニ中へは入りゃアしない」
庭下駄を突っかけて歩いて行った。
15[#「15」は縦中横]
変った建物では無かったけれど、陰森たる建物には相違なく、縁が四方を取り巻いてい、雨戸がビッシリと閉ざされていた。縁も古ければ雨戸も古い。しかし用木は頑丈で、それが時代を食《は》んでいる為か、鉄のような色を呈してい、瓦|家根《やね》が深く垂れ下り、その家屋も黒く錆ていた。だから巨大な蝙蝠が、翼をひろげているようである。何処からも日の目が射して来ない。繁った木立が四方を鎧い、陽を遮っているからだろう。とは云え家根の一面だけが、陽を受けて明るく燃えている。それで、そこだけが昼であり、その他の所は宵闇であると、こういう
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