っちゃア見られないなあ」
 懐手《ふところで》をした鮫島大学は、見下ろしてこう呟いたが、
「おい茨木、考えがある。この態《ざま》の悪いお客さんを、じめつく[#「じめつく」に傍点]地下の物置で、大して大事にしなくともいいが、とにかく介抱してやってくれ。……ええとそれから」と鮫島大学は、手下の悪漢《わる》どもを見廻したが、
「あぶれた[#「あぶれた」に傍点]立ン棒じゃアあるまいし、並んで茫然《ぼんやり》立っているなよ。……ちょっと待て待て、オイ茨木! 今夜、宇和島という侍が、例の品物を懐中して、海路大阪から江戸へ着くはず、その宇和島への両様の手宛、もうすっかり出来ているだろうな」
「へい、すっかり出来ています。……最初は正面から斬ってかかり……」
「云うな云うな、出来ておればよい。……松本々々|依頼《たのみ》がある」
「へい」と云って顔を出したのは、御留守居風をした男である。
「今考えついた細工だが、お前町方役人となって、加賀屋へ行って主人《あるじ》と逢い……これこれちょっと耳を貸しな」
 囁くのを聞き取った御留守居風の男は、
「こりゃァ名案でございますなあ。……それにしても東三《とうさぶ》め、うまく[#「うまく」に傍点]やればよろしゅうござるが」
「久しい間入り込んでいるあいつ、ヘマなことはしないだろうよ」
 ここで又大学は茨木という男へ、苦笑いしながら話しかけた。
「大阪では宇和島というあの侍に、ひどい目に逢ったのう」
「ミッシリ峰打ちに叩かれて、ぶざまに気絶をいたしました」
「本来はあいつを味方に引き入れ、平野屋から加賀屋へ送る品物――凄く高価な品だというから、いずれは腕利きの人物に持たせ、送り届けるに相違ない。その送人を途中に擁し、宇和島に殺させ奪い取ろうと、そう目論《もくろ》んでの仕事だったのに、あいつの腕が利き過ぎていたので、平野屋の主人に逆に雇われ……」
「あいつが高価の品物を保護して、江戸入りすることになったとは、面白くない運命で」
「面白くない運命といえば、源三郎の運命も……金太々々ちょっと来い」
「へい」と近寄って来た乾兒《こぶん》の一人へ、又大学は囁いた。
「へえ、それでは加賀屋の倅を、加賀屋の金蔵へ送り込むんで」
「うん。……さあさあみんな行け」
 一同の悪漢《わる》どもが立ち去って、一人になると大学は榻の一つへ腰かけた。
「この考えは素晴らしいぞ」
 独り言を云いながら考え出した。
 すると、その時扉をあけて、スッと入って来た女があった。
「大変な芝居をなさいましたねえ」
 女役者の扇女《せんじょ》である。
「ほほうお前か、見ていたか。舞台の芝居より凄かろう」
「血糊と異って流されたは、本当の血でございましたからね」
「どうだ扇女、物は相談、凄味に惚れちゃアくれまいかな」
「そうですねえ、考えましょうよ、一つじっくり[#「じっくり」に傍点]と考えましょうよ」
「そのじっくり[#「じっくり」に傍点]だが、気に入らないな。それにさ恋というものは、考えてやらかすものではない。と、こんなように思うがの。大概考えている中に、恋というものは逃げてしまう」
「逃げてしまうような恋でしたら、やらない方が可《よ》いでしょう」
「これが秘決だ! 無分別! どうだこいつでやらかそう!」
「ところが妾《わたし》は天邪鬼《あまのじゃく》で、無分別が恋の秘決なら、思慮熟慮で行きましょう」
「理詰めで行こうとこういうのか?」
「そうですねえ、そうでしょうよ」
「オイ」と大学猛くなった。
「その理詰めだが嵩ずるとな……」
「どうなろうと仰有《おっしゃ》るので?」
「こうなるのだ! こうなるのだ!」
 ノッと立ち上った鮫島大学は、巨大な鳥が小雀を、翼の下へ抱え込むように、扇女を両腕へかい込もうとした。
 だがその途端に一方の壁の、真中《まんなか》の辺りへ穴が開き、一人の女が現われた。
 隣部屋へ通う隠し戸を開け、手に阿片の吹管を持ち、支那の乙女の扮装《すがた》をした、若い女が現われたのである。
「阿片をお吸いなさいまし。結構な飲物でございます」
 そう云いながらその女は、ヒョロヒョロ、ヒョロヒョロと前へ出た。
「奇麗な夢が見られます。見ることの出来ない美しい、世界を見ることも出来ましょう。聞くことの出来ない美しい、音楽を聞くことも出来ましょう。石榴《ざくろ》石から花が咲いて、その花の芯は茴香《ういきょう》色で、そうして花弁は瑪瑙《めのう》色で、でもその茎は蛋白石の、寂しい色をして居ります。そういう花も見られましょう。……そこは異国でございました。そこは上海《シャンハイ》でございました。その裏町でございました。一人の女が誘拐《かどわか》され、密房の中へ閉じ籠められ、眠らされたのでございます。黒檀の寝台には狼の毛皮。でその毛皮の荒い毛が、体の
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