て一層怒らせるもので、源三郎は手近の一人を切った。
「ワッ」という悲鳴を立てて切られた鳶《とび》はぶっ仆れた。
つづいて起こった混乱で、
「小僧、生意気!」
「飛んでもねえ奴だ!」
「うっそり[#「うっそり」に傍点]者の狂人《きちがい》め!」
「めんどッくせえや、眠らせろ!」
声の渦巻きが渦巻いて、つづいて人間の渦が巻いた。大勢一度にムラムラと、源三郎へかかったのである。ガラガラと物を投げる音! 二三人の者が源三郎を目掛け、榻や器物を投げたのである。
と、三四人悲鳴を上げ、人間の渦から飛び出した。逆上していよいよ狂暴になり、勇気を加えた源三郎が、夢中で揮った匕首で、傷つけられた連中である。
「あぶねえあぶねえ気を付けろ!」
「弱い野郎が物に憑かれ、にわかに強くなりゃアがった。だから一層物騒だ!」
あつかい兼ねたというやつである。ダラダラと一同は後へ退いた。
背後《うしろ》の壁へ背中をあて、全身をガクガク顫わせながら、匕首を頭上に振り冠り、その匕首から血をしたたらせ、突っ立ったのは源三郎で、髻《もとどり》がバラバラに千切れてい、頬から生血が流れてい、腰に下げていた煙草入など、どこへ行ったものか見当らない。従って高価な古渡り珊瑚の、根締の玉も見当らない。ドサクサまぎれに何者か、ふんだくって[#「ふんだくって」に傍点]しまったに相違ない。
この時一人のゴロン棒風の男が、手捕りにしようと思ったのだろう。
「ヤイ!」と喚くと飛びかかった。
「うぬ!」と呻くと源三郎は、ピューッと匕首を横へ揮った。
「あぶのうございます」と飛び退いた。
「今度は俺だ」と浪人風の男が、刀を鞘ぐるみ[#「ぐるみ」に傍点]引っこ抜き、鐺《こじり》をグッと突き出した。
「見やがれ!」と叫ぶと源三郎は、一躍パッと飛び込んだ。
と、カチリという音がした。匕首で鞘を払ったのである。
「あッ不可《いけ》ない、一両の損だ! 鞘を直しにやらなけりゃアならない」
浪人は後へ退いた。
獲物を揮って討ち取るのなら、何の手間暇もいらないのであって、すぐに柔弱の源三郎ぐらい、討って取ることは出来るのであるが、しかし源三郎は名家の息子、殺しては世間が承知しまい。大騒ぎをするに相違ない。世間が大騒ぎをすることによって、この屋敷のカクラリが、暴露されないものでもない。それが彼等には恐かった。それで手捕りにしてふん縛り、うん[#「うん」に傍点]と虐《いじ》め懲《こら》しめて、今後二度と来させまいとするのが、彼等|悪漢《わる》共の思惑なのであった。
ところが一方源三郎は、怒りと屈辱とで正気を失い、今や狂暴になっていた。そこで、無闇とあばれ廻り、無二無三に匕首を揮い、遠慮会釈なく人を切る。捕らえることも抑えることも出来ない。
10[#「10」は縦中横]
しかし扉が開いてこの屋敷の主人《あるじ》の、鮫島大学《さめじまだいがく》が現われて、無雑作に源三郎の前に進み、源三郎の手をムズと掴み、グッとばかりに引っ立てた瞬間、この場の治まりは付いてしまった。
「汝《うぬ》は誰だ!」と源三郎は怒鳴った。
「拙者かな、拙者かな、さあ何者でござろうやら」
「痛え痛え、手を放せ!」
「ホッ、ホッ、ホッ、お痛いかな」
三十七八の男の癖に、ホッ、ホッ、ホッと、女のような、滑らかな厭らしい笑い方をしたが、
「これ」とにわかにいかつく[#「いかつく」に傍点]なった。
「二度と来るなよ、こんな場所へ! 人に云うなよ、この場の光景を」
更に一層凄くなり、
「上海《シャンハイ》仕立ての遊戯室、世間へ明かしたら賽の目だ、無いぞないぞ、汝《うぬ》の命は! 痛えどころか殺すぞよ!」
グッと睨んだが考えた。
「待てよと……オ、茨木! 茨木!」
「は」と云いながら進み出たのは、いましがた鞘ぐるみ[#「ぐるみ」に傍点]刀を出し、源三郎をからかった[#「からかった」に傍点]、浪人風の男であった。
「たしかこいつは。……この若造は……加賀屋源右衛門の倅《せがれ》だったの?」
「は、さようでございます」
「よし」と云うと有意味に笑った。
「飛び込んで来た、よい囮が! 今まで迂濶《うっか》りしていたよ。……何よりの玉だ、こいつを利用し……」
呟くと一緒に突き飛ばした。
突かれて蹣跚《よろめ》いた源三郎は、ドンと壁へぶつかったが、充分の恐怖《おそれ》、充分の怒り、しかし依然として心は夢中で……
「汝は、汝は!」と匕首《あいくち》を揮った。
「ホッ、ホッ」という例の笑いと共に、入身となった鮫島大学は、グッと拳を突き出した。
「ムーッ」とこれは源三郎で、泳ぐような手付きをしたかと思うと、グニャグニャになってぶっ[#「ぶっ」に傍点]仆れた。
「悪い格好で寝ているよ。大金持の若旦那も、からきし[#「からきし」に傍点]こうな
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