むな」と若侍は、グット胸を反らせたが、
「厭だと云ったらどうなさる」
「さればさ」と云うと黒鴨の武士は、スラスラとスラスラ左手へ寄った。間《あわい》一間、そこで止まると、ピンと右手の肘を上げた。と自然に掌が、柄の頭へあてられた。薄っペラな態度や声にも似ず、腰が据わって足の踏まえ、ピッタリ定《き》まって立派な姿勢。上げた右肘で敵を圧し、全身を斜めに平めかせ、首を幾何《いくばく》か前方へ曲げ、額い越しに睨んで狙いすました。籠めた気合で抜き打ったら、厭でも太刀は若侍の、左胴へ入るに相違ない。根岸|兎角《とかく》を流祖とした、微塵《みじん》流での真の位、即ち「捩螺《れいら》」の構えである。
「ううむこいつは素晴らしい」
それと見て取った若侍は、こう思わず呟いたが、
「しかも不気味な腥《なまぐさ》い、殺気が鬱々と逼って来る。剣呑だな、油断は出来ない」
しかしよくよく若侍には、腕に自信があると見え、刀の柄へ手もかけず、ブラッとしたままで立っていた。
と、黒鴨の武士であるが、別に切り込んで行こうとはせず、あべこべ[#「あべこべ」に傍点]にヒョイと後退《あとじさ》ると、ダラリと両手を両脇へ下げ、それからまたも懐手をしたが、薄っペラの調子で喋舌《しゃべ》り出した。
「ざっとこんな[#「こんな」に傍点]恰好で。つまり貴殿不承知なら、秘密の小口を明かせた手前、生かしては置かぬ! 叩っ切る! と云うことになりますので。……と云うとおっかない[#「おっかない」に傍点]話になるが、何のこんなにも旨い話、貴殿諾かずにおられましょうか。承知と云われるは知れたことで。……だが日当不足となら、清水の舞台から飛んだつもりで、一日十両まで糶《せ》り上げましょう。これでは御不満ありますまいな。手を拍ちましょう、シャンシャンシャン! いかがなもので? シャンシャンシャン!」
呑んでかかった態度である。
5
こいつを聞くと若侍は、にわかに愉快になったらしい。
「一風変わった悪党だわえ。よしよし面白い面白い、ひとつこいつの手に従《つ》いて、殺人《ひとごろし》請負業を開店《ひら》いてやろう。天変地妖相続き、人心恟々天下騒然、食える野郎と食えぬ野郎と、変にひらき[#「ひらき」に傍点]があり過ぎる。こんな浮世ってあるものか。殺人だって必要さ」
そこで若侍はズバリと云った。
「きっと十両出されるかな?」
「出します出します。……御承知かな」
「まず即金、一日分が所」
若侍は手を出した。
「これはお早い、早速のことで」
黒鴨もこれには驚いたらしい。
「が、結構、では十両」
グッと懐中《ふところ》へ手を入れると、チャリン、チャリンと音をさせた。
小判を数えたに相違ない。
手を引き出すと掌《てのひら》の上に、黄金十枚が載っていた。
「遠慮は御無用、さあさあお取り」
「開店祝で、何の遠慮、では確かに」
「あ、しばらく、それにしても、せめて姓名なと! ……」
「拙者姓名は……」と云いかけたが、
(本名宇津木|矩之丞《のりのじょう》と、ほんとに宣《なの》っては面白くない)
そこで、
「宇和島鉄之進《うわじまてつのしん》」と宣った。
「ではこの金を……」
「頂戴いたす。どれ」と小判を掴もうとした途端に、
「こちらへ御士官なされませ!」と、老人の声が聞こえてきた。
「日当二十両出しましょう!」
傍らに立っている平野屋の寮の、その表門の背後《うしろ》から、声は聞こえてきたのである。
「やッ!」と云ったは若侍で、
「しまった!」と叫んだは黒鴨の武士で……
すぐに、ギーと潜戸《くぐりど》が開き、またもや老人の声がした。
「お入りなさりませ、御浪人様!」
「オイ」と云ったは黒鴨である。
「どうだどうだ、どっちへ仕える?」
「考えるにも及ぶめえ」
「十両取るか」
「どう致しまして」
「それじゃアあっちへ行くつもりか?」
「云うにゃ及ぶだ、倍も食えらあ」
「きっとか」と黒鴨は眉を縮《ちぢ》めた。
「何時《いつ》如何《いか》なる時代でも、もっと食える方へ行くものさ」
「ホッ、ホッ、ホッ」
嘲笑である。黒鴨が嘲笑をしたのである。
が何とその嘲笑、残忍性を帯びていることか。
「そうか、だがな、オイ若侍、そうなった日の暁には、拙者の矢面へ立つのだぞ!」
「よかろう、大将、戦おうぜ!」
「まずこうだあァ――ッ」と凄い気合を、かけると同時に抜いた太刀で、のめらん[#「のめらん」に傍点]ばかりの掬《すく》い切り、若侍の股の交叉《つがい》を、ワングリ一刀にぶっ放した[#「ぶっ放した」は底本では「ぶつ放した」]。――と云う手筈になるところを、飛び違った若侍は、
「こっちもこうだあァ――ッ」と浴びせかけ、飛び違う間に抜いた太刀を、ヌ――ッとのす[#「のす」に傍点]と振り冠った。
で、無言だ
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