」
また走らなければならなかった。
出た所が富島町で、それを突っ切ると亀島橋、それを渡れば日本橋の区域、霊岸島から出ることが出来る。
「よし」と云うと岡引の松吉は、亀島橋をトッ走った。
中与力《なかよりき》町が眼の前にあって、組屋敷が厳しく並んでいる。
「しめたしめた」とそっちへ走った。
組屋敷の一画へ出られたら、松吉は安全に保護されるだろう。
だが運悪く出られなかった。ぶちこわし[#「ぶちこわし」に傍点]の一団が大濤のように、その方角から蜒って来て、すぐに松吉を溺らせて、東北へ東北へと走ったからである。
掻き分けて出ようと焦ったが、人の渦から出られそうもない。
で、東北へ東北へと走る。
日本橋の区域も霊岸島と負けずに、修羅の巷を現わしていた。
24[#「24」は縦中横]
しかしさすがに蔵前へ迄は、ぶちこわし[#「ぶちこわし」に傍点]の手が届かないと見え、寧ろひっそりと寂れていた。
と云うのはぶちこわし[#「ぶちこわし」に傍点]の噂を聞き込み、ここらに住んでいる大商人達が、店々の戸を厳重にとざし、静まり返っているからである。
ふと現われた人影がある。
「とうとう大事になってしまった」
他でもない宇和島鉄之進であった。
「江戸中騒乱の巣となろう。死人も怪我人も出来るだろう。霊岸島の方は火の海だ。八百八町へ飛火がしよう。と、日本中へ押し広がる。京都、大阪、名古屋などへも、火の手が上るに相違ない。幕府の有司のやり方が、不親切だからこんなことになる。金持のやり方もよくないよ」
呟いたがフッと笑い出した。
「いやその金持の加賀屋の主人だが、もう帰ってはいないかしら。どうにも渡すものを渡さなければ苦になって心が落ちつかない」
扇女《せんじょ》のために危難を救われ、扇女の部屋でしばらく憩い、もうよかろうという時になって、芝居小屋から旅籠へ戻り、今まで休んでいたのであったが、預った物が心にかかる。そこで加賀屋をもう一度訪ねて、主人が帰っているようなら、早速渡そうと出て来たのであった。
本多|中務大輔《なかつかさたいふ》の屋敷の前を通り、書替御役所の前を過ぎ、北の方へ歩いて行く。
鮫島大学の一味に追われ、日中早足に歩いたところを、逆に歩いて行くのである。
急に鉄之進は足を止めた。
眼の前に加賀屋が立っている。しかし表戸は厳重に下ろされ、静まり
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