スルリ擦り抜けて行こうとした。
「あいやしばらく」
と背後《うしろ》からその老武士が声を掛けた。
「どなたでござるな? どこへおいでになる?」
「はい妾《わたくし》はお霜と申し、秋篠局《あきしののつぼね》の新参のお末、怪しいものではございませぬ」
「新参のお末、おおさようか。道理で顔を知らぬと思った。で、どちらまで参られるな?」
「はい、お局《つぼね》まで参ります」
「秋篠様のお局へな?」
「はい、さようでございます」
「それにしては道が違う」
「おやさようでございましたか。広い広いご殿ではあり、新参者の悲しさにさては道を間違えたかしら」
「おおおお道は大間違い、秋篠様のお局は今来た廊下を引き返し、七つ目の廊下を左へ曲がり、また廊下を右へ廻ると宏大もないお部屋がある。それがお前のご主人のお部屋だ」
「これは有難う存じました。どれそれでは急いで参り……」
「おお急いで参るがよい。……ところで芝居はどの辺だな?」
「ただ今中幕が開いたばかり、団十郎の定光が連詞《つらね》を語っておりまする。早うおいでなさりませ」いい捨てクルリと方向《むき》を変えた。
「様子を見りゃあお留守居役か、いい加
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