。私は和泉《いずみ》じゃ」
「おおそれでは南お町奉行筒井和泉守様でござりましたか」
「藪殿、道に迷われたそうで」
「道に迷いましてござります」
「よい時道に迷われた。藪殿、よいものが見られますぞ。アハハハ」
と和泉守、何と思ったか笑ったものである。
諸侯の乗り物陸続として来たる
和泉守と紋太郎とは役向きの相違知行の高下から、日頃|交際《まじわり》はしていなかったが、顔は絶えず合わせていた。というのは和泉守が家斉公のお気に入りでちょくちょく西丸へやって来てはご機嫌を窺《うかが》って行くからで、西丸書院番の紋太郎とは厭でも自然顔を合わせる。殊には和泉守は学問好き、それに非常な名奉行で、在職年限二十一年、近藤守重の獄を断じて一時に名声を揚げたこともあり、後年|冤《えん》によってしりぞけられたが忽ち許されて大目附に任じ、さらに川路聖謨《かわじせいばく》と共に長崎に行って魯使《ろし》と会し通商問題で談判をしたり、四角八面に切って廻した幕末における名士だったので、紋太郎の方では常日頃から尊敬してもいたのであった。
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いぎりすもふらんすも皆里言葉たびたび来るは
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