ろしゅうござる」
というような、ひそひそ話が聞こえて来た。
突然駕籠が宙に浮いた。ゆらゆらと人の手で運ばれるらしい。畳ざわりの幽《かす》かな音。ス――と開けたりピシリと閉じる襖や障子の音もする。宏大な屋敷の模様である。トンと駕籠が下へ置かれた。紐や桐油を除《の》ける音。それからピ――ンと錠の音がした。
「よろしゅうござるかな?」「逃げもしまい」「もし逃げたら?」「叩っ切るがよろしい!」
などと凄い話し声がする。と、ス――と扉《と》があいた。
「いざ専斎殿お出くだされ」
「はっ」
と専斎は這い出した。朦朧《もうろう》と四辺《あたり》は薄暗い。見霞むばかりの広い部屋で、真ん中に金屏風が立ててある。
その金屏風の裾の辺に一人の武士が坐っていたが、
「ここへ」と云って膝を叩いた。語音の様子では老人であったがスッポリ頭巾を冠っているので顔を見ることは出来なかった。鉄無地の衣裳に利休茶の十徳、小刀《ちいさがたな》を前半に帯び端然と膝に手を置いている。肉体枯れて骨立っていたがそれがかえって脱俗して見え、云うに云われぬ威厳があった。部屋には老人一人しかいない。
「ここへ」と老人はまた云った。
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