ことにしよう。
絵巻を貰った六人の子は、ひどく憤慨したものである。
「いったい何んでえこの態《ざま》は!」まず長男の県丸《あがたまる》が口穢く罵った。「六歌仙がどうしたというのだろう! 小町が物を云いもしめえ。とかく浮世は色と金だ。その金を隠したとは呆れたものだ」
「いいや俺は呆れもしねえ」次男の赤魚《あかえ》がベソを掻きながら、「明日から俺《おい》らはどうするんだ。一文なしじゃ食うことも出来ねえ」
「待ったり待ったり」
と云ったのは小利口の三男月丸であった。
「これには訳がありそうだ。……ううむ秘密はここにあるのだ。この絵巻の六歌仙にな」
「私達は六人、絵巻も六人、ちょうど一枚ずつ分けられる。六歌仙を分けようじゃありませんか」
四男の鯖丸《さばまる》が意見を云う。
「よかろう」
と云ったのは五男の小次郎で、
「妾《わたし》は女のことですから小野小町が欲しゅうござんす」
お小夜《さよ》が最後にこう云ったが、これはもっともの希望《のぞみ》というので小町はお小夜が取ることになった。
藪紋太郎
ちりぢりに別れた六歌仙は再び一つにはなれなかった。
「吉備彦の素敵もない財宝は六歌仙の絵巻に隠されている。絵巻の謎を解いた者こそ巨富を得ることが出来るだろう」――こういう伝説がいつからともなく津々浦々に拡まった頃には、当の絵巻はどこへ行ったものか誰も在所《ありか》を知らなかった。六人の兄弟はどうしたか? これさえ記録に残っていない。
こうして幾時代か経過した。
そのうちいつともなくこの伝説は人々の頭から忘れられてしまった。しかしもちろん多くの画家やまた好事家《こうずか》の間では、慾の深い伝説は別として信輔筆の六歌仙は名作として評判され、手を尽くして探されもしたがついに所在は解らなかった。
こうして文政となったのである。
もうこの頃では画家好事家さえ、信輔筆の六歌仙について噂する者は皆無であった。
「大変でございますよ、旦那様!」
襖の外で呼ぶ声がする。
「おお三右衛か」
と紋太郎はとうにさっきから眼覚めていたので、こう云いながら起き上がると布団の上へ胡坐《あぐら》を掻いた。それからカチカチと燧石《いし》を打ってぼっと行燈《あんどん》へ火を移した。
「まあこっちへはいって来い」
「はい」と云うと襖が開き白髪の老人がはいって来た。用人の岩本三右衛門である。キチンと坐ると主人の顔をまぶしそうに見守ったが、
「賊がはいったようでございます」
「うん。どうやらそうらしいな。大分騒いでいるようだ」
「すぐお出掛けになりますか?」
「専斎殿は金持ちだ。時には賊に振る舞ってもよかろう。……もう夜明けに間もあるまい。見舞いには早朝参るとしよう」
三百石の知行取り、本所割下水に邸《やしき》を持った、旗本の藪紋太郎は酷《ひど》く生活《くらし》が不如意であった。
普通旗本で三百石といえば恥ずかしくない歴々であるが、紋太郎の父の紋十郎が、その時代の風流男で放蕩遊芸に凝ったあげく家名を落としたばかりでなく、山のような借金を拵えてしまい、ハッと気が付いて真面目になったところでコロリ流行病《はやりやまい》で命を取られたので、家督と一緒に借金証文まで紋太郎の所へ転げ込んだ始末。余り嬉しくない証文ではあるが、総領の一人子であって見れば放抛《うっちゃ》っておくことも出来なかった。
親に似ぬ子は鬼っ子だとある心理学者がいったそうであるが藪紋太郎は実のところ少しも親に似ていなかった。とはいえ決して鬼っ子ではなく鳶《とび》の産んだ鷹《たか》の方で遊芸は好まず放蕩は嫌い、好きなものは武道と学問。わけても陽明学を好み、傍ら大槻玄沢《おおつきげんたく》の弟子杉田|忠恕《ちゅうじょ》の邸へ通って蘭学を修めようというのだから鷹にしても上の部だ。
二十八歳の男盛り。縹緻《おとこぶり》もまんざら捨てたものではない。丈《せい》は高く肉付きもよく馬上槍でも取らせたら八万騎の中でも目立つに違いない。
貧しい生活《くらし》をしているにも似ず性質はきわめて快活で鬱勃《うつぼつ》たる覇気も持っていたが、そこは学問をしただけに露骨にそんなものを表面《おもて》へは出さない。
「ご免」
と紋太郎は声を掛けた。奥でガヤガヤ話し声はするが誰も玄関へ出て来ない。「頼む」ともう一度声を掛けた。――と、今度は足音がして書生がひょっくり顔を出したが、
「これはご隣家の藪様で」
「昨夜盗難に遭われたとの事、ご家内に別状はござらぬかな?」
「はい有難う存じます。怪我人とてはございませぬが……」
「おおそれなれば何より重畳《ちょうじょう》。そうして賊は捕らえましたかな?」
「いえ」
と云った時、奥の方から専斎の声が聞こえて来た。「どなたかおいでなされたかな?」
ヌッと現われた五十
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