のが恐ろしい悪魔の住家にも思われ、また陰険な謀叛人の集会所《あつまりじょ》のようにも思われるのであった。
「そうだ時々監視しよう」
下城の途次はいうまでもなく非番の日などには遠い本所からわざわざ写山楼まで出かけて行きそれとなく様子を探ることにした。
それはあの晩から十日ほど経ったある雪降りの午後であったが、例によって下城の途次、写山楼まで行って見た。
グーングーングーングーン! 何んともいえない奇怪な音が裏庭の方から聞こえて来た。
その音こそ忘れもしない多摩川の空で垂天の大鵬《おおとり》が夕陽を浴びながら啼いたところのその啼き声と同じではないか。
紋太郎は思わず「あっ」といった。それから「しめたッ」と叫んだものである。
彼はじっと考え込んだ。
「ううむやっぱりそうだったのか! 俺の睨みは外れなかったと見える……もうあの音の聞こえるからは化鳥の在所《ありか》はいわずと知れたこの写山楼に相違ない」
彼の勇気は百倍したが、しかしこのまま写山楼へ踏み込むことも出来なかったのでグルグル塀外を歩き廻り尚その音を確かめようとした。
しかし音は瞬間に起こりしかして瞬間に消えてしまったのでどうすることも出来なかった。
「だんだん夜は逼って来る。やんでいた雪も降り出して来た。さてこれからどうしたものだ。……うむしめた! 明日は非番だ! 今日はこのまま家へ帰り明日は朝から出張ることにしよう」
で、充分の未練を残し彼が邸へ帰り着いたのはその日もとっぷり暮れた頃であったが翌日は扮装《みなり》も厳重にし早朝から邸を出た。
昨日の雪が一二寸積もり、江戸の町々どこを見ても白一色の銀世界で今出たばかりの朝の陽が桃色に雪を染めるのも冬の清々《すがすが》しい景色として何とも云えず風情《ふぜい》がある。
吾妻橋を渡り浅草へ抜け、雷門を右に睨み、上野へ出てやがて本郷、写山楼まで来た時にはもう昼近くなっていた。
「おや」と云って紋太郎は思わず足を止どめたものである。
今、写山楼の門をくぐり駕籠が一挺現われた。駕籠|側《わき》に二人の武士がいる。そうして駕籠の背後《うしろ》からはさも重そうに荷を着けた二頭の馬が従《つ》いて来る。遠い旅へでも出るらしい。
「これはおかしい」
と云いながら過ぎ行く駕籠と馬の後をじっと紋太郎は見送ったが、ハイカラにいえば六感の作用、言葉を変えればいわゆる直覚で、その奇妙な一行が紋太郎には気になった。
「……邸を見張ろうか? 駕籠を尾行《つけ》ようか? どうもこいつは困ったぞ。……えい思い切って駕籠を尾行《つけ》てやれ!」
彼はようやく決心し、駕籠の後を追っかけた。
日本橋から東海道を、品川、川崎、神奈川と駕籠と馬とは辿って行く。
程《ほど》ヶ谷、戸塚と来た頃にはその日もとっぷりと暮れてしまった。彼らの泊まったのは藤屋という土地一流の旅籠屋であった。そこで紋太郎も同じ宿へ草鞋《わらじ》を解かざるを得なかった。
駕籠を追って
馬の鈴音、鳥の声、竹に雀はの馬子の唄に、ハッと驚いて眼を覚すと紋太郎は急いで刎ね起きた。雨戸の隙から明けの微茫が蒼く仄々《ほのぼの》と射している。
その時|使女《こおんな》が障子をあけた。
「もうお目覚めでございますか。お顔をお洗いなさりませ」
「うん」といって廊下へ出る。
「階下《した》のお客様はまだ立つまいな?」
何気なく女に訊いてみた。
「階下《した》のお客様とおっしゃいますと?」
「駕籠を座敷まで運ばせた客だ」
「はいまだお立ちではございません」
「駕籠の中には誰がいたな」
「さあそれがどうも解りませんので」
「解らないとは不思議ではないか」
「駕籠からお出になりません」
「食事などはどうするな」
「二人の若いお武家様が駕籠までお運びになられます」
「ふうむ、不思議なお客だな」
「不思議なお客様でございます」
「ええと、ところで二頭の馬、そうだあの馬はどうしているな?」
「厩舎《うまや》につないでございます」
「重そうな荷物を着けていたが」
「重そうな荷物でございます」
「あの荷物はどうしてあるな?」
「やはり二人のお武家様が自分で下ろして自分で片付け、決して人手に掛けませんそうで」
「何がはいっているのであろう?」
「何がはいっておりますやら」
「鳥の死骸ではあるまいかな」
「え?」
と女は眼を丸くした。
「大きな鳥の死骸」
「あれマア旦那様、何をおっしゃるやら」
笑いながら行ってしまった。
ざっと洗って部屋へ戻る。
まず茶が出てすぐに飯。そこそこに食《したた》めて煙草《たばこ》を飲む、茶代をはずみ宿賃を払い門口の気勢《けはい》に耳を澄ますと「お立ち」という大勢の声。
そこで紋太郎も部屋を出た。玄関へつかつか行って見るとまさに駕籠が出ようとしていて往来には
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