めた専斎はじたばた[#「じたばた」に傍点]するのを止めにした。じっと静かに安坐したまま駕籠舁きの足音に気を配った。
 駕籠はズンズン進んで行く。右へ曲がったり左へ折れたり、そうかと思うと後返りをしたり、ある時は同じ一所を渦のようにグルグル廻ったりした。俄然駕籠は走り出した。どうやら坂道でも駈け上るらしい。と、不意に立ち止まった。
「やれやれどうやら着いたらしいな」こう専斎の思ったのは糠喜びという奴でまた駕籠は動き出した。
「どうもいけねえ」と渋面を作る。
 それから駕籠は尚長い間冬の夜道を進むらしかった。儒者風をした人物は依然|駕籠側《かごわき》にいるらしかったが、一言も無駄言を云わないので、いよいよ専斎には気味悪かった。


    桃色の肉に黄金色の毛

 こうしておよそ今の時間にして四時間余りも経った頃、駕籠の歩みが緩《のろ》くなった。そうして足音の響き工合でどうやらこの辺が郊外らしく専斎の心に感じられた。と、にわかに駕籠が止まった。ギーと大門の開く音。と、また駕籠がゆっくりと動いた。がしかしすぐ止まる。
「ご苦労でござった」「遅くなりまして」「しからば乗り物をずっと奥まで」「よろしゅうござる」
 というような、ひそひそ話が聞こえて来た。
 突然駕籠が宙に浮いた。ゆらゆらと人の手で運ばれるらしい。畳ざわりの幽《かす》かな音。ス――と開けたりピシリと閉じる襖や障子の音もする。宏大な屋敷の模様である。トンと駕籠が下へ置かれた。紐や桐油を除《の》ける音。それからピ――ンと錠の音がした。
「よろしゅうござるかな?」「逃げもしまい」「もし逃げたら?」「叩っ切るがよろしい!」
 などと凄い話し声がする。と、ス――と扉《と》があいた。
「いざ専斎殿お出くだされ」
「はっ」
 と専斎は這い出した。朦朧《もうろう》と四辺《あたり》は薄暗い。見霞むばかりの広い部屋で、真ん中に金屏風が立ててある。
 その金屏風の裾の辺に一人の武士が坐っていたが、
「ここへ」と云って膝を叩いた。語音の様子では老人であったがスッポリ頭巾を冠っているので顔を見ることは出来なかった。鉄無地の衣裳に利休茶の十徳、小刀《ちいさがたな》を前半に帯び端然と膝に手を置いている。肉体枯れて骨立っていたがそれがかえって脱俗して見え、云うに云われぬ威厳があった。部屋には老人一人しかいない。
「ここへ」と老人はまた云った。
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