ざればもちろん貴殿の誤りに対して何んの悪感も持ってはおられぬ。それにかえって江戸に近い多摩川の河原で断わりもなく試乗したのは飛んだ失敗、謀叛を企てるそのために江戸の様子を窺ったのだと、讒者《ざんしゃ》の口にかかりでもしたら弁解の辞にさえ窮する次第、とそれで公然医者も呼べず、帰りの道中は謹慎の意味で駕籠から出なかったほどでござるよ。……そこでと、藪殿いかがでござる、せっかく貴殿も心にかけ大鵬《たいほう》の行方を追って来たことじゃ、これから二人でビショット氏を訪ね、大鵬すなわち飛行機なるものを篤《とく》とご覧になられては。いやいやビショット氏はむしろ喜んで貴殿と逢われるに相違ない。それは拙者が保証する」
作右衛門はこう云って腰を上げようとした。
ここは長崎海岸通り大通詞丸山作右衛門の善美を尽くした応接間であるがここを紋太郎が訪問したのは、作右衛門と初めて逢った日から約五日ほど経ってからであった。
その間紋太郎はどうしていたかというに、例のうまくもない謡《うたい》をうたいただ宛《あて》もなく長崎市中を歩き廻っていたのであった。そうしていよいよ窮したあげく、ふと作右衛門のことを思い出し、親切そうな風貌と手頼《たよ》りあり気だった言葉つきとを唯一の頼みにして、訪ねて行きどうして遙々《はるばる》江戸くんだりからこの長崎までやって来たかを隠すところなく語ったのであった。
その結果作右衛門がかつは驚きかつは進んでビショット氏へ紹介しようといい出したのである。
「それは何より有難いことで。……飛行機も拝見したいけれどむしろそれよりビショット先生に親しく拝顔の栄を得て過失を謝罪致したければなにとぞお連れくださるよう」
「よろしゅうござる。さあ参ろう」
こんな具合で作右衛門方を出、蘭人居留地へ出かけて行き、ビショット邸を訪問《おとず》れた。
すぐと客間へ通されたがやがて出て来たビショット氏を見ると、
「なるほど」と紋太郎は呟いた。
ビショット氏の皮膚が桃色であり、頭髪はもちろん産毛《うぶげ》までも黄金色を呈していたからであった。
作右衛門の話しを聞いてしまうとビショット氏は莞爾《かんじ》と微笑したが、突然大きな手を出して紋太郎の手をグッと握った。それは暖い握手であった。
「私は日本に十年おります。で、日本語は自由です。……過失というものは誰にでもあります。何んの謝罪に及び
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