颯《さっ》と部屋の中へ飛び込んで来た。
「鼬《いたち》だ」
 と伊太郎は刎起《はねお》きた。「誰か来てくれ、鼬だ鼬だ!」
 ぼんやり点《とも》っている行燈《あんどん》の光で、背を波のように蜒《うね》らせながら伊太郎目掛けて飛び掛かって行く巨大な鼬の姿が見えた。
 母屋の方から人声がして、母を真先に女中や下男が、この離《はなれ》へやって来た時も、なお鼬は駆け廻っていた。
 母のお琴《こと》はそれと見ると、棒のように立ち縮んだ。
「鼬!」と顫え声で先ず云った。「口笛の音? ああ幽霊!」
 それからバッタリ仆《たお》れてしまった。
 お琴は気絶したのである。
 鼬の姿はいつか消え、遠くで吹くらしい口笛の音が、なお幽《かすか》に聞こえていた。



「私《わっち》は現在見たんでさあ。嘘も偽わりもあるものですかい。ええええ尾行《つけ》て行きましたとも。するとどうでしょうあの騒動でさ」
 楽屋へは朝陽が射し込んでいた。人々はみんな出払っていて、四辺《あたり》はひっそりと静かであった。女太夫の楽屋のことで、開荷《あけに》、衣桁《いこう》、刺繍した衣裳など、紅紫繚乱《こうしりょうらん》美しく、色々
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