事の光りで見て取った時の彼女の驚きと云うものはちょっと形容に苦しむ程であった。その伊太郎は気絶していた。そうして手足から血を流していた。
彼女は軽業の太夫《たゆう》であって馬扱いには慣れていた。で小舟を乗り捨てて馬と一緒に泳ぐことにした。荒れ狂う浪を掻き分け掻き分け馬と人とは泳ぎに泳いだ。精も根も尽き果て、もう溺れるより仕方がないと、こう彼女が思った時、眼前に石垣が現われた。伊太郎の家の石垣であった。
伊太郎の家ではもう先刻《さっき》から、伊太郎の姿が見えないと云うので、母をはじめ家内の者は狂人のようになっていた。とそこへ現われたのが伊太郎を抱き抱えた紫錦の姿であった。
「伊太郎さんが!」
「若旦那が!」
と、にわかに人々は活気付いた。張り詰めていた精神がこの時一時に弛んだと見えて、紫錦は気絶してグダグダと倒れた。それ[#「それ」に傍点]と云うので人々は二人を家の中へ舁ぎ入れた。間もなく医者が駈け付けて来て応急手当を施した。
この頃町では火事と戦いとがなお烈しく行なわれていた。それが全然《すっかり》静まったのは夜も明け方に近い頃で、その結果はどうかと云うに、むしろ諏訪藩の負けで
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