あったのである。
つまり贓物《ぞうぶつ》[#「贓物」は底本では「臓物」]を焼き払い、証拠を湮滅させようため、わざと小屋へ火を掛けたのであった。
それと感付くと役人達は、がぜん態度を一変させ、彼等を捕縛《とら》えようと犇《ひし》めいた。
彼等は男女取り雑《ま》ぜて三十人余りの人数であった。それに馬が二頭いた。それから白という猛犬がいた。それから例の鼬がいた。これらのものが一斉に、役人達に敵対した。彼等は武器を持っていた。商売用の刀や匕首《あいくち》や、竹槍などを持っていた。
どんなに彼等が凶暴でも、三十人こっきり[#「こっきり」に傍点]であったなら、捕縛えるに苦労はしなかったろう。しかるにここに困ったことには味方する者が現われた。
当時諏訪藩は佐幕党として、勤王派に睨まれていた。で安政《あんせい》年間には有名な水戸の天狗党が、諏訪の地を蹂躪した。又文久年間には、高倉《たかくら》三位と宣《なの》る公卿が、贋勅使として入り込んで来た。勝海舟の門人たる相良惣蔵《さがらそうぞう》が浪士を率《ひき》い、下諏訪の地に陣取って乱暴したのもこの頃であった。
それで、この事件の起こった時でも、
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