州街道を足早に、甲府の方へ下る者があった。他ならぬ岡っ引の友蔵で、厳重に旅の装いをしていた。
すると、その後から見え隠れに、一人の旅人が尾行《つ》けて行った。それを友蔵は知らないらしい。
道中三日を費やして、友蔵は甲府の城下へ着いた。
旅籠へ泊った友蔵は、両掛《りょうがけ》からこっそり[#「こっそり」に傍点]地図を出し、あらためて仔細に調べ出した。
すると、隣室の間の襖が、あるかなしかに細目に開き、そこから鋭い眼が見覗《みのぞ》いた。様子を窺っているのであった。
翌日早朝友蔵は、釜無の方へ出かけて行った。忍野郷《しのぶのごう》を出外れるともう釜無の岸であった。土手に腰かけて一吹《いっぷく》した。それから四辺《あたり》を見廻したが、人の居るらしい気勢《けはい》もなかった。用意して来た鍬を提《ひっさ》げ地図を見い見い歩いて行ったのは、川の岸寄りの中洲であった。
彼は熱心に掘り出した。やがて何か鍬の先に、カチリとあたる[#「あたる」に傍点]音がした。どうやら小石ではないらしい。手を差入れて引き出して見た。土にまみれ[#「まみれ」に傍点]た小さい壺が、その指先につつまれていた[#「つつまれていた」に傍点]。
「なんだえこれは壺じゃアねえか。呆れもしねえ莫迦にしていやがる。小判の箱かと思ったに。天道様も聞こえませぬ。一体どおしてくれるんだい。旅費を使って江戸くんだりから、わざわざ甲府へ来たんじゃアねえか。巫山戯《ふざけ》ているなあ、え、本当に。……だが待てよ、そうも云えねえ。これに秘密があるのかもしれねえ。形は小さい壺ながら、忽然化けて千両箱となる。なあんて奇蹟が行なわれるかもしれねえ。よしよしともかく宿へ帰り、仔細に調べることにしよう」
で、鍬を川へ投げ捨て、壺に着いている土を払うと、懐中へ納めて歩き出した。
夕飯を食べ風呂へ入り、床を取らせると女中を退けた。
それから壺を取り出した。ためつすがめつ[#「ためつすがめつ」に傍点]調べたが、何の変った所もなかった。丈三寸、周囲三寸、掌に載る小壺であった。焼にも変った所がない。ただし厳重に蓋が冠せてあって、取ろうとしてもなかなか取れない。
「つまらねえなあ。虻蜂《あぶはち》とらずだ」
小言を云いながら振って見たが、中には何にも入っていないと見え、コトリとも音はしなかった。
「一世一代の失敗かな。友蔵親分丸損かな。ほんとにほんとに莫迦にしていやがら」
しかしどんなに悪口を云っても、それに答えるものさえない。自分自身が悪口を云い、自分自身が聞くばかりであった。
夜は次第に更けまさり、家の内外ひっそり[#「ひっそり」に傍点]とした。
「考えていたって仕様がねえ。こんな晩は寝た方がいい。明日は早速ご出立だ。お花の畜生め覚えていやがれ。彼奴《あいつ》さえあんな物を持って来なけれりゃあ、こんなへマは見ねえんだ。江戸へ帰ったらあいつ[#「あいつ」に傍点]を呼び付け、みっしり[#「みっしり」に傍点]叱ってやらなけりゃならねえ」
夜具を冠って寝てしまった。
いわゆる丑満の時刻になった。
と、間《あい》の襖《ふすま》が開き、何かチロチロと入って来た。それは一匹の大|鼬《いたち》であって、颯《さっ》と床間《とこのま》へ駈け上ると、壺と地図とを両手で抱え、それから後足で立ち上り、静かに隣部屋へ引返した。
友蔵は勿論知らなかった。しかし翌日発見した。発見はしたが驚かなかった。「へん、間抜けな泥棒め、盗むものに事をかき、あんなつまらねえ物を盗みやがった」
それで、却ってサバサバして、江戸をさして引返して行った。
27[#「27」は縦中横]
ここは深川の木賃宿である。香具師《やし》の親方の「釜無の文」は、手下の銅助を向うに廻し、いい気持に喋舌《しゃべ》っていた。傍に檻が置いてあり、中に大鼬が眠っていた。
二人の前には壺と地図とが、大切そうに置いてあった。
窓から夏の陽が射していて、喚気法の悪い部屋の中は、汗ばむ程に熱かった。
「……と、つまり、云うわけさ。ナーニ、ちょろりと横取りしたのさ。へん、えて[#「えて」に傍点]物さえ使ったらどんな宝物だって盗まれるんだからな」
得意そうに文は話し出した。
「ところで親方、その壺には、何が入っているんですえ?」こう不思議そうに銅助は訊いた。姦悪の相の持主で、文に負けない悪党らしかった。
「そいつア俺にも解らねえ」文は渋面を作ったが、「福の神だということだ。とにかくこいつ[#「こいつ」に傍点]を持っていると、いい目が出るということだ……これはな、伝説による時は、支那から渡ったものだそうな。甲府のお城にあったものさ。元禄《げんろく》時代の将軍家、館林《たてばやし》の綱吉《つなよし》様が、ある時お手に入れられた所、間もなく江戸城お乗込み、将
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