、この時代から怪異があったと、翁双紙《おきなぞうし》などに記されてある。本所七不思議のその中にも、毛脛屋敷というのがあるが、それとこれとは別物なのである。
百目蝋燭が地下の部屋の、一所に点っていた。
黄色い光がチラチラとだだっ[#「だだっ」に傍点]広い部屋を照らしている。
幽《かすか》ではあったが三味線の音が、天井の方から聞えてきた。
十四五人の人間がいる。
そうして気絶した美しい紫錦が、床の上に仆《たお》れていた。
22[#「22」は縦中横]
「ふん、こうなりゃアこっちの物さ。……三ピンめ、驚いたろう」
こう云ったのは源太夫であった。「だが案外手強かったな、唄うたい[#「うたい」に傍点]にゃ似合わねえ」
「坊主の六めどうしたかな」こう云ったのは小鬢の禿た四十年輩の小男であった。「三ピンめに一太刀浴びせられたが」
「ナーニ大丈夫だ、死《くたば》りゃアしねえ。死った所で惜しかアねえ」もう一人の仲間がこう云った。
「三ピンめ、さぞかし驚いたろう」源太夫は繰り返した。「よもや地下室があろうとは、仏さまでも知るめえからな。消えてなくなったと思ったろうよ。……紫錦《しきん》め、そろそろ目を覚さねえかな」
紫錦は気絶からまだ醒めない。グッタリとして仆《たお》れていた。髪が崩れて額へかかり、蝋燭の灯に照らされていた。
源太夫はじっと[#「じっと」に傍点]見詰めていたが、溜息をし舌なめづり[#「なめづり」に傍点]をした。
「だが親方はどうしただろう?」
もう一人の仲間が不安そうに云った。
「大丈夫だよ、親方のことだ、ヘマのことなんかやるはずはねえ」
「それにえて[#「えて」に傍点]物を連れて行ったんだからな」
「あいつ[#「あいつ」に傍点]ときたら素ばしっこい[#「ばしっこい」に傍点]からな」
二三人の仲間が同時に云った。
地下室は寒かった。蝋燭の灯が瞬《またた》いた。
「酒を呑みたいなあ」と誰かが云った。
「まあ待ちな、もう直ぐだ。なんだか知らねえが親方が宝箱を持って来るんだとよ」
「何が入っているんだろう?」
「小さな物だということだ」
「で、うん[#「うん」に傍点]と金目なんだな」
「一度にお大尽《だいじん》になるんだとよ」
「源公!」
と一人が呼びかけた。「ひどくお前は幸福そうだな。思う女を取り返したんだからな。……幸福って物ア直ぐに逃げる。今度逃がしたら取り返しは付かねえ」
源太夫はそっちへ眼をやった。
「ふん、女に惚れているんだな」
「あたりめえだ、惚れてるとも、だから苦心して取り返したんだ」
「だが宜《よ》くねえぜ、そういう惚《ほ》れ方は、古い惚れ方っていうやつだ[#「やつだ」に傍点]」
源太夫はその眼を光らせたが
「じゃ何が新らしいんだ」
「お前は承知させて、それからにしようって云うんだろう? だめだよだめだよそんなことは……」
「俺には出来ねえ、殺生な真似はな」
「じゃあお前は縮尻《しくじる》ぜ」
源太夫は返辞《いらえ》をしなかった。
「叩かれると犬は従《つ》いて来る。撫《さ》すると犬は喰らいつく。……」
源太夫は考え込んだが、突然飛び上り喚声をあげた。
「お前の云うことは嘘じゃねえ!」
23[#「23」は縦中横]
この時二階の一室では、最後の節が唄われていた。
小堀義哉《こぼりよしや》の心の中は泉のように澄んでいた。
なんの雑念も混じっていなかった。死に面接した瞬間に、人間の真価は現われる。驚くもの恐れるもの、もがく[#「もがく」に傍点]もの泣き叫ぶもの、そうして冷やかに傍観するもの、又突然|悟入《ごにゅう》するもの、しかし義哉の心持は、いずれにもはまっていなかった。彼は三味線の芸術境に、没頭三昧することによって、すべてを忘れているのであった。
『山姥《やまうば》』の曲が終ると同時に、彼は死ななければならなかった。そうして殺し手が白刄を提《さ》げ、彼の背後に立っていた。
時はズンズン経って行った。
もう直ぐ曲は終わるのである。
[#ここから3字下げ]
※[#歌記号、1−3−28]露《つゆ》にもぬれてしっぽりと、伏猪《ふすい》の床の菊がさね……
[#ここで字下げ終わり]
彼は悠々と唄いつづけた。
異風変相の浪士達にも、名人の至芸は解《わか》ると見えて、首を垂れて聞き惚れていた。
独楽師に扮した一人の浪士は「旨い!」と思わず呟いた、居合抜に※[#「にんべん+肖」、第4水準2−1−52]《やつ》したもう一人の浪士は、「ウーン」と深い呻声を洩らし、商人に扮した二人の浪士は顔と顔とを見合わせた。
一座の頭領と思われる、琵琶師風の一浪士は、刀の柄を握ったまま堅くその眼を閉じていた。
時はズンズン経って行った。
伊庭八郎とその同志は、勝安房守の指図の下に、毛脛屋敷の表戸を、踏
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