むら》一座のな。俺らその人に頼まれて、お前を迎いに来たってやつよ」
トン公はそこで気が付いたように、
「だがお前は出られめえな、なにせ大家のお嬢さんだし、もう夜も遅いんだからな」
「行くならこのまま行っちまうのさ」
「だが後でやかましいだろう?」
「そりゃあ何か云われるだろうさ」
「困ったな、では止めるか。止めにした方がよさそうだな」
「くずくず云ったら飛び出してやるから、そっちの方は平気だよ。それより妾《わたし》にゃその人の方が気味悪く思われるがね」
「うん、こっちは大丈夫だ。俺らが付いているんだからな」
「では行こうよ。思い切って行こう」
そこで二人は露地を出て、浅草の方へ足を運んだ。
「トン公」とお錦は不意に云った。「今日|彼奴《あいつ》らと邂逅《でっくわ》したよ。源公《げんこう》の奴と親方にね」
「え!」とトン公は怯えたように声を上げたが「ふうんそいつあ悪かったなあ。一体どこで邂逅したんだい?」
「観音様の横手でね」
「それじゃ今日の帰路《かえり》にだな」
「お前と別れてブラブラ来るとね、莚《むしろ》の上で親方がさ、えて[#「えて」に傍点]物を踊らせていたじゃないか」
「ふうんそいつアしまった[#「しまった」に傍点]なあ」
「早速源公が後をつけて来たよ」
「え、そいつアなおいけねえや」
「ナーニ途中で巻いっちゃった[#「巻いっちゃった」はママ]よ」
「そいつアよかった。大出来だった」
話しながら歩いて行った。
こうして上野の山下へ来た。と五六人の人影が家の陰から現われ出た。
「おや」とトン公が云った時、堅い棒で脳天の辺りを厭という程ブン撲られた。「あっ、遣られた、こん畜生め!」こう叫んだがその声は咽喉から外へ出なかった。たちまちにグラグラと眼が廻り、何も彼も意識の外へ逃げた。
お錦は人影に取り巻かれた。
「何をするんだよお前達は!」
気丈な彼女は怒鳴《どな》り付けたが、何の役にも立たなかった。彼女は直ぐに捉えられた。
「構う事アねえ、担いで行け!」
彼等の一人がこう云った。彼女にはその声に聞き覚えがあった。
「あ、畜生、源公だな!」
「やい、紫錦、態《ざま》あ見ろ! よくも仲間を裏切ったな、料《りょう》ってやるから観念しろ!」
源太夫は嘲笑った。
「さあ遣ってくれ、邪魔のねえうちに」
しかし少々遅かった。邪魔が早くも入ったのである。
「これ、待て待て、悪い奴等《やつら》だ!」
こう云って走って来る人影があった。
「あっ、いけねえ、侍だ」
「またにしろ! 逃げたり逃げたり!」
――源太夫の群はお錦を投げ出しどことも知れず逃げてしまった。
10[#「10」は縦中横]
「娘御、お怪我はなかったかな」
「あぶないところをお助け下され、まことに有難う存じます。ハイ幸い、どこも怪我は……」
「おおさようか、それはよかった。……や、ここに仆《たお》れているのは?」
こう云いながら若侍はトン公の方へ寄って行った。
「妾《わたし》の知己《しりあい》でございます。もしや死んだのではございますまいか?」
お錦は不安に耐えないように、トン公の上へ身をかがめた。
若侍は脈を見たが、「大丈夫でござる。活きております。どうやら気絶をしたらしい」
間もなくトン公は正気になった。
「済まねえ済まねえ、眠っちゃった。ナーニもう大丈夫だ。だが畜生頭が痛え」
負け惜しみの強いトン公は、気絶したとは云わなかった。
二人を救った若侍は小堀義哉《こぼりよしや》というもので、五百石の旗本の次男、小さい時から芸事が好き、それで延寿《えんじゅ》の門に入り、五年経たぬ間に名取となり、今では立派な師匠株、従って父親とはソリが合わず、最近家を出て一家を構え、遊芸三昧に日を暮らしている結構な身分の者であったが今日も清元のおさらい[#「おさらい」に傍点]に行き、遅くなっての帰路であった。
「またさっき[#「さっき」に傍点]の悪者どもが盛り返して来ないものでもない、瓦町《かわらまち》まで送りましょう」
義哉は親切にこう云った。
で三人は歩くことにした。
「爺つあん」の住居へ着いたのはそれから間もなくのことであったが、別れようとする若侍をお願いしてお錦は引き止めて置いて、家の内へ入って行った。
ガランとした古びた家であった。
そうして「爺つあん」の寝ている部屋は、その家の一番奥にあった。
「「爺つあん」、紫錦《しきん》さんを連れて来たよ」
トン公はこう云って入って行った。
「トン公、どうも有難う」
こう云いながら「爺つあん」は布団の上へ起き上った。そうしてつつましく[#「つつましく」に傍点]膝をついたお錦の顔をじっと見た。
と、みるみる「爺つあん」の眼から大粒の涙が零れ出た。非常に感動したらしい。
「おかしな爺さんだよ、どうしたんだ
前へ
次へ
全28ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング