の前へ坐りこむと、先ず髪から簪を抜き、その足を鍵穴へ差し込んだ。しかし錠前は外れなかった。
 で、手箱を膝の上へのせ、しばらくじっと[#「じっと」に傍点]考え込んだ。
 見る見る彼女の眼の中へ燃えるような光が射して来た。
 彼女は突然叫び出した。「泥棒《どろぼう》でございます泥棒でございます!」
 そうして手早く杉の手箱を自分のふところ[#「ふところ」に傍点]へ捻じ込んだ。
 けたたましい声に仰天して、家の人達が集まって来たのは、その次の瞬間のことであったが、いかさま縁にも座敷にも泥足の跡が付いているので、賊の入ったことは証拠立てられた。
 そこで八方へ人が飛んだ。しかし賊は見付からなかった。
 そうして何を盗まれたものか、かいくれ[#「かいくれ」に傍点]見当がつかなかった。
 と云うのは金にも器類にも、紛失したものがないからであった。

19[#「19」は縦中横]

 ちょうど同じ夜の出来事である。
 岡山頭巾で顔を包んだ、小兵の武士が供もつれず、江戸の街を歩いていた。
 すると、その後を従《つ》けるようにして、十人ばかりの屈強の武士が、足音を盗んで近寄って来た。
 覆面の武士は幕府の重鎮|勝安房守安芳《かつあわのかみやすよし》で、十人の武士は刺客なのであった。
 今日の東京の地図から云えば、日本橋区|本石町《ほんごくちょう》を西の方へ向かって歩いていた。室町を経て日本橋へ出、京橋を通って銀座へ出、尾張町の辻を真直ぐに進み、芝口の辻までやって来た。
 この間二三度刺客達は、討ち果そうとして走りかかったが、安房守の威厳に搏《う》たれたものか、いつも途中で引き返してしまった。
 だが一体何のために勝安房守を殺そうとするのだろう? そうして一体刺客達は、どういう身分の者なのだろう。
 それを知りたいと思うなら、当時の歴史を調べなければならない。
 慶応《けいおう》三年九月であったが、土佐《とさ》の山内容堂《やまのうちようどう》侯は、薩長二藩が連合し討幕の計略をしたと聞き、これは一大事と胸を痛めた。そこで一通の建白書を作り、後藤象二郎《ごとうしょうじろう》、福岡孝悌《ふくおかこうてい》、この二人の家臣をして将軍慶喜に奉《たてまつ》らしめ、平和に大政を奉還せしめ、令政をして一途に出でしめ、世界の大勢に順応せしめ、日本の国威を揚げしめようとした。そこで慶喜は十月十三日、京都二
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