、待て待て、悪い奴等《やつら》だ!」
こう云って走って来る人影があった。
「あっ、いけねえ、侍だ」
「またにしろ! 逃げたり逃げたり!」
――源太夫の群はお錦を投げ出しどことも知れず逃げてしまった。
10[#「10」は縦中横]
「娘御、お怪我はなかったかな」
「あぶないところをお助け下され、まことに有難う存じます。ハイ幸い、どこも怪我は……」
「おおさようか、それはよかった。……や、ここに仆《たお》れているのは?」
こう云いながら若侍はトン公の方へ寄って行った。
「妾《わたし》の知己《しりあい》でございます。もしや死んだのではございますまいか?」
お錦は不安に耐えないように、トン公の上へ身をかがめた。
若侍は脈を見たが、「大丈夫でござる。活きております。どうやら気絶をしたらしい」
間もなくトン公は正気になった。
「済まねえ済まねえ、眠っちゃった。ナーニもう大丈夫だ。だが畜生頭が痛え」
負け惜しみの強いトン公は、気絶したとは云わなかった。
二人を救った若侍は小堀義哉《こぼりよしや》というもので、五百石の旗本の次男、小さい時から芸事が好き、それで延寿《えんじゅ》の門に入り、五年経たぬ間に名取となり、今では立派な師匠株、従って父親とはソリが合わず、最近家を出て一家を構え、遊芸三昧に日を暮らしている結構な身分の者であったが今日も清元のおさらい[#「おさらい」に傍点]に行き、遅くなっての帰路であった。
「またさっき[#「さっき」に傍点]の悪者どもが盛り返して来ないものでもない、瓦町《かわらまち》まで送りましょう」
義哉は親切にこう云った。
で三人は歩くことにした。
「爺つあん」の住居へ着いたのはそれから間もなくのことであったが、別れようとする若侍をお願いしてお錦は引き止めて置いて、家の内へ入って行った。
ガランとした古びた家であった。
そうして「爺つあん」の寝ている部屋は、その家の一番奥にあった。
「「爺つあん」、紫錦《しきん》さんを連れて来たよ」
トン公はこう云って入って行った。
「トン公、どうも有難う」
こう云いながら「爺つあん」は布団の上へ起き上った。そうしてつつましく[#「つつましく」に傍点]膝をついたお錦の顔をじっと見た。
と、みるみる「爺つあん」の眼から大粒の涙が零れ出た。非常に感動したらしい。
「おかしな爺さんだよ、どうしたんだ
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