た器類へも例えば提燈《ちょうちん》や傘へさえ、家の定紋を入れて居ります」
「へえい、それじゃ傘へまでね?」
「蔦に井桁が家の定紋、左様傘へまで入れてあります」
「なるほどなあ」と長庵は感心したように嘆息したが、
「そういう自信がなかった日には、貧乏に耐えて今日まで新しい主人に仕えもせず、お暮らしなさることは出来ますまい。武士の覚悟は又格別、長庵感服致しました。一寸《ちょっと》ご免」と立ち上ると、土間の方へ下りて行った。
 玄関へ行って見廻すと、道十郎の傘がある。じろりと見ると眼を返し、土間へ引っ返して棚を見たが、
「よし」と云うと一本の傘を棚からスルリと抜き出した。それから玄関へ引っ返して行き、道十郎の傘を取り上げると、その後へ自分の傘を置く。道十郎の雨傘は代わりに棚へ隠されたのである。

 その翌朝のことである。
 脚絆甲掛菅の笠、行李包を背に背負った、一人の田舎者がヒョッコリと、江戸麹町は平川町、村井長庵の邸から往来|側《ばた》へ下り立ったが、云うまでもなく十兵衛で、小田原提燈を手にさげて、品川の方へ歩いて行く。
 程経て同じ長庵邸から、一人の男が現われたが、黒い頭巾で顔を隠し、着
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