駕籠の垂。生白い物の閃めいたは、女の腕に相違ない。
「ワッ」と云う長庵の声。ガックリ膝を泥に突き、手を廻すと脛に立った、小柄をグイと引き抜いたが、
「や、こいつア銀の平打! さては手前は!」と振り返る、その眼の前にスンナリと駕籠に寄り添い立った姿、立兵庫《たてひょうご》にお裲襠《かいどり》、大籬の太夫職だ。
「ううむ、そうか、女泥棒!」
「あいさ、妾ア花魁《おいらん》泥棒! こう姿を見せたからにゃア、半金では不承だよ」
「何の手前に」と懐中を抑える。
「おや、よこすのが厭なのかえ」
「世に名高けえ泥棒でも、たかが女、滅多にゃ負けねえ」
「おお、そうかえ、ではお止し」
繊手を延ばすと髪へ障《さ》わり、
「もう一本見舞おうかね。左の眼かえ右の眼かえ。それとも額の真中かえ」
長庵は黙って突立っている。
突然財布を投げ出した。
「上にゃ上があるものだなあ」
「それでも器用に投げ出したね。命冥加の坊主だよ」
途端に、人影バラバラと物の影から現われたが、
「姐御、駕籠に召しましょう」
ズラリ駕籠を取り巻いた。十五六人の同勢である。
「姐御はお止し、太夫さんだよ」
云い捨て駕籠へポンと乗る。宙に浮く女駕籠。サッサッサッと足並を揃え、深夜の町を掠めるがように、北を指して消えて行く。
記名《ないれ》の傘《からかさ》が死骸の側《そば》に、忘れてあったという所から、浪人藤掛道十郎が下手人として認められ、牢問い拷問の劇《はげ》しさに、牢死したのはその後の事で、それについても物語があり、不思議な花魁泥棒が、十兵衛の娘お種を助け、長庵の悪事を剖《あば》くという、義血侠血の物語《はなし》もあるが、後日を待って語ることとしよう。
とまれ強悪の村井長庵がものした[#「ものした」に傍点]金を又ものされ[#「ものされ」に傍点]、手出しもならず口を開き、茫然《ぼんやり》立ったという所に、この物語の興味はあろうか。
底本:「国枝史郎伝奇全集 巻六」未知谷
1993(平成5)年9月30日初版発行
初出:「ポケット」
1925(大正14)年6月
※「平河町」と「平川町」の混在は底本通りにしました。
入力:阿和泉拓
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年9月10日作成
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