ば五年の昔、拙者二十九の春のことでござるが殿に一羽の名鶯がござって、ご寵愛遊ばされ居られました所、拙者の朋友|間瀬《ませ》金三郎誤って籠から取り逃がしましてござる」
「やれやれそれはとんでもないこと」
「しかるに金三郎には妻子の他に老いたる父母がござりましてな、もしも浪人することとならば一家たちまち零落し、恩ある父母を養うこともならぬ。これが何より心掛かりと、拙者にむかって掻き口説きましたれば、はなはだ憐れにも気の毒にも思い、拙者金三郎の身代わりとなり、名鶯取り逃がしの罪を負い、殿より永の暇《いとま》を賜わり、さてこそ浪人致したのでござるよ」
「お聞き致せばお気の毒。いや天晴《あっぱれ》の義侠心、何と申してよろしいやら。さような事情のご浪人なれば、ご親友はじめ重役衆まで何とか殿様にお取りなし致し、至急帰参出来ますよう取り計らうが人情でござるに、それを今日まで打ち捨て置くとは、義理知らずではござりませぬかな」
「いやいやそれにも事情がござる。今お話しした金三郎が、一人ヤキモキ気を揉んで、殿へ取りなし致し居る由、しかるに殿にはご明君なれど酒癖あってご癇癖。自然いつもご機嫌悪く、申し出る機会がないとのこと、再三金三郎よりの消息でござる」
「しかしそいつは些《ちと》面妖、疑わしい点でござりますなあ。これが一年や半年なれば、そう諦らめても居られましょうが、何と申しても五年の月日が流れて居るのではござりませぬか。その長い五年間には、お殿様にもご機嫌よく、家来共の言葉を快くお聞きなさる時もござりましょうに。そういう場合にお取りなししたら、何の困難《むつかし》い障害《さわり》もなく、帰参が適《かな》うに相違ござりませぬ。……今日までご帰参の適わぬは、そのご朋友の金三郎様が、お取りなしせぬからに相違ござりませぬ」
 長庵は意気込んで云ったものである。
「実は拙者も折々は、そのように思わぬこともないが、そういう考えの出る時には努《つと》めて消そうと試みて来ました。と云うのはこの拙者、これまで人に怨まれるような、悪事を致した覚えがなく、金三郎とて真人間のこと、恩を忘れるはずはない。おっつけ殿からの使者《つかい》が来て、芽出度《めでた》く帰参が適うものと、確《かた》く信じて居るからでござるよ」
「それは真面目のご貴殿のこと、他人《ひと》に怨みを買うような、よくないご所業をなさるはずはない。
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