た器類へも例えば提燈《ちょうちん》や傘へさえ、家の定紋を入れて居ります」
「へえい、それじゃ傘へまでね?」
「蔦に井桁が家の定紋、左様傘へまで入れてあります」
「なるほどなあ」と長庵は感心したように嘆息したが、
「そういう自信がなかった日には、貧乏に耐えて今日まで新しい主人に仕えもせず、お暮らしなさることは出来ますまい。武士の覚悟は又格別、長庵感服致しました。一寸《ちょっと》ご免」と立ち上ると、土間の方へ下りて行った。
 玄関へ行って見廻すと、道十郎の傘がある。じろりと見ると眼を返し、土間へ引っ返して棚を見たが、
「よし」と云うと一本の傘を棚からスルリと抜き出した。それから玄関へ引っ返して行き、道十郎の傘を取り上げると、その後へ自分の傘を置く。道十郎の雨傘は代わりに棚へ隠されたのである。

 その翌朝のことである。
 脚絆甲掛菅の笠、行李包を背に背負った、一人の田舎者がヒョッコリと、江戸麹町は平川町、村井長庵の邸から往来|側《ばた》へ下り立ったが、云うまでもなく十兵衛で、小田原提燈を手にさげて、品川の方へ歩いて行く。
 程経て同じ長庵邸から、一人の男が現われたが、黒い頭巾で顔を隠し、着流しの一本差、おりから降り出した夜の雨を、蛇目の傘《からかさ》半開き、雨が掛かってパラパラパラ、音のするのを気にしながら、足音を忍んで小走る先はやはり品川の方角である。
 暗い夜道を附かず離れず、二人の男は歩いて行く。赤羽を過ぎて三田の三角、札の辻へかかるころから、後の男は足を早めたが、気が付いたように立ち止まると、下駄を脱いで、手拭いで包み、グイと懐中へ捻じ込んだ手で、衣裳の裾の高端折り、夜眼にも著《し》るくヌッと出る脛を、虻が集《た》かったかバンと打ち、掌《てのひら》を返すと顎を擦り、じーっと行手を隙かして見たが、ブッツリ切ったは刀の鯉口、故意《わざ》と高い足音を立て、十兵衛を先へ追い越そうとする。その足音に気が付いて、振り返った十兵衛の左側を影のように素早く走り抜けたが、小手をハラリと振ったのは提燈の燈《ひ》を消すためである。
「あ、いけねえ燈が消えたあ」
 十兵衛が思わず叫んだとたん、グルリ身を返した村井長庵、言葉も掛けず抜き打ちに斬り付けたのが右手に当り、十兵衛の片腕がブラリと下る。
「あれマア腕が……」と云うところをザックリまたも斬り付ける。冠った菅笠を切り割って頭の鉢へ刃
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