へ刎ねたのである。こいつが落ちれば集五郎の首は、斜《はす》に耳から切られただろう。
 その際《きわ》どい一髪の間だ、女の声が聞こえて来た。
「蝶々をご存知ではございますまいか」
 美しい清浄な声であった。ス――ッと小一郎の心から、殺伐な邪気が抜けてしまった。
 と、また女の声がした。
「永生《えいせい》の蝶でございます。……蝶々をご存知ではございますまいか」
 どこにいるのだろう、声の主は? 木立があって、藪があって、後は吹きさらしの、小梅田圃。女の姿などどこにも見えない。それにもかかわらず女の声は、すぐ手近から聞こえるのであった。
「もしご存知でございましたら、昆虫館までお届けください」
 するとどうだろう、それに続いて、老人の声が聞こえて来た。「娘よ、駄目だよ、永生の蝶、何んのこういう人達に、探し出すことが出来るものか」
 非常に威厳のある声であった。手近の所から聞こえて来る。だがやっぱり姿は見えない。
「人殺しをしようという人間に、永久に生きる神秘の蝶が、何んの何んの探し出せるものか」老人の声がまた聞こえた。「さあ娘よ、そろそろ行こう」
「はい、お父様」と女の声がした。「それでは
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