人などもやって来た。
 豪放快活で洒落気があって、一面蕩児の気持ちをさえ備えているところの小一郎である。ふと刺青に誘惑された。
「よしよし俺も刻《ほ》ってやろう」
 そこでその頃有名の、浅草にいる刺青師の、蔦源の店へ出かけて行き、刺青を彫って貰ったりした。
「これでどうやらこの俺も、一人前の悪武士《わる》になったらしい。アッハハ、面白いなあ。どうせ浮世は思うようにはならない。したい三昧をするがいいさ。……だがどうも俺はこの頃になって、少し性質が変わったようだ。桔梗様に失恋したからだろう」
 物憂い初夏の日が続こうとした。
 しかしとうとうある夜のこと、またも小一郎は敵に襲われ、大事な獲物を失った代わりに、より大切の素晴らしい宝を、偶然手に入れることが出来た。
 その夜であるが小一郎は、フラリとばかり家を出た。円々《まるまる》としたよい月夜で家々の屋根も往来も、霜が降りたように蒼白い。
 大川を左に家並を右に、歩いて来た所が尾上《おのえ》河岸、別にこれと云って用もなく、明月に誘われて出たのである。と、にわかに足を止め、じっと行手を透かして見た。

        二十三

 黒装束で身を固めた、見覚えのある武士が一人、家の蔭から現われて、行手を遮ったからである。
「一式氏」とその武士が云った。すたわち南部集五郎であった。
「また逢いましたな、これで三度目」
「南部氏か」と小一郎は、素早く四辺を見廻わしたが、「貴殿一人ではあるまいな」
「さようさ」と云ったが集五郎は、とぼけ[#「とぼけ」に傍点]たような調子となった。
「今のところは拙者一人で」
「三度逢ったと云われたが、拙者を襲ったのは五度目でござろう」
「どう致しまして、三度目で」
「先夜お茶の水の往来で、拙者を襲ったのも貴殿の筈だ」
「ははあ感付きめされたかな。……ひどくあの時は一式氏、いつもに似げなくお弱うござんしたな」
「留守中の拙宅を襲ったのも、貴殿一味でござろうがな」
「敏感敏感、その通りで」
「だからよ五度目だ、今夜を入れて」
「御意《ぎょい》!」と集五郎は揶揄《やゆ》的に笑った。「下世話に三度目が定《じょう》の目というが、そいつが延びて五度目が定の目、今夜こそ遁がさぬ、一式氏、充分観念なさるがよろしい」
「さようよなア」と小一郎は、伝法な口調に砕けたが、眼では四方をジロジロ見廻わし、ちょっとの油断もしなかった。そうして心で考えた。「間を持たせて様子を見てやろう」そこで悠々と云い出した。「それはそれとして南部氏、よく水難から遁がれましたな」
「あああれ[#「あれ」に傍点]か」と集五郎は、鼻白んだ声音を作ったが、「いや全く三浦半島、木精《こだま》の森の大水には、さすがの拙者も参ってござるよ。一同谷間へ流されましてな、アブアブ水を飲みましたっけ。が、それそこは天祐というやつ、二、三人怪我はしましたが、命に別条はげえせん[#「げえせん」に傍点]でした」頼むところがあると見え、南部集五郎いつもに似気なく、寛々《ゆるゆる》としておちついて[#「おちついて」に傍点]いる。「貴殿こそあの際どうなされた?」
「さればさやっぱり天祐というやつ、水にも溺れずピンシャンと、ご覧の通り壮健で」
「めでたい」と集五郎はいよいよ揶揄的に、「その上貴殿におかれては、昆虫館へ参られたようで」
 これにはちょっと小一郎は驚かざるを得なかった。「よくご存知だの、どうして知られた」
「永生の蝶を持っているからよ」
「よくご存知だの、どうして知られた?」
「女方術師、蝦蟇《がま》夫人、その本名は冷泉|華子《はなこ》、そのお方の透視《みとおし》で知れた」ここでウンと威張ったが、「その華子様仰せらく『江戸を中心に五十里の地点、そこに住んでいた永生の蝶、その一匹が江戸へ入った』――そこで探しにかかったところ、目付かりましたよ、貴殿の道場が。鐘巻流剣道指南、一式小一郎とありましたからな。ははあとすぐに感付いて、それからそれと探りを入れると、知れましたなあ、永生の蝶をたしかにお持ちということがな」
「そこでその蝶を奪おうと、再々拙者を襲われたのだな」
「御意」と集五郎はまた揶揄的に、「どうだな、柔順《すなお》に渡されては」
「さればさ」と云ったが小一郎は、わざとらしく首を引っ傾《かし》げた。
「余人へならば渡してもよい。が、貴殿へは渡されぬよ」
「ウフッ、なるほど、恋敵《こいがたき》だからで」
「その恋敵で思い出した。これ南部氏、集五郎氏、小梅田圃で耳にした、例の美しい声の主に、拙者面会致してな、恋の告白をしたところ、早速承知というところで、お手を下されたというものだ。うらやましかろうがな、いかがのもので」――こん畜生め! というような調子、そいつで小一郎はまくし立てた。
 こいつを聞くと集五郎は「ううむ」と唸った
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