すよ」
 君江は承知だというように、「お気の毒さまでございますこと」
 今度は小一郎怒ったように、「ちと無礼ではございませんかな」
「まんざらそうでもございますまい」君江は少しも動じない。
 シャン、シャン、シャンと鈴の音、カバ、カバ、カバと蹄の音、二人の旅はつづいて行く。
「どこまでお送りくださるので?」やがて小一郎はこう訊いた。
「はい、どこへでも、あなたまかせ」君江の返辞はハッキリしている。
「拙者、江戸表へ帰ります」
「それでは江戸までお送りします」
「いささか執拗ではござらぬかな」小一郎は今度は窘《たしな》めにかかった。
「妾の性質でございます」依然として君江は驚かない。
「江戸までお送りくださるとして、一人で帰られるのは寂しかろうに」小一郎は今度は同情してしまった。
「何んの妾帰りましょう」
「え?」と小一郎は訊き返した。
「妾、いつまでもお側にいます」
「ははあさようで、それはそれは、しかし拙者は江戸へ帰れば、父の邸へ入るつもりで」
「お小間使いとなって住み込みます」君江は益※[#二の字点、1−2−22]長閑そうである。
「驚きましたな」と小一郎はほんとにひどく[#「ひどく」に傍点]驚いてしまった。「誰が小間使いに頼みますので?」
「ホ、ホ、ホ、ホ、あなた様が」
「いやはやどうも」と小一郎はさらに驚きを重ねたが、「拙者決して雇いませんな」
「何んのお雇いなさいますとも」君江はすっかり安心している。「こんないい小間使いでございますもの」
 ――どうにもこうにもやり切れない――小一郎は当惑したものである。そこで改めて云って見た。「いやいや拙者江戸へ帰っても、父の邸へは入りますまい。一戸を借り受け所帯を張ります。さよう剣術の道場をな、荒くれ男達が出入りしましょう」
 こいつを聞くと娘の君江は、さも嬉しそうに晴々《はればれ》と云った。
「まあまあ結構でございますこと、それでは妾妹として、お勝手の切り盛りを致しましょう」
 ――最初《はな》からこの娘には嚇されたが、どうやら最後《きり》まで嚇されそうだ。――さすがの一式小一郎も、微苦笑せざるを得なかった。

        二十

 だが一式小一郎には、君江の心が解っていた。「無茶苦茶にこの俺を愛しているのさ」
 そうしてそれは小一郎にとっては、決して不愉快ではないのであった。否々むしろ嬉しいのであった。
「何んと云っても風変りの娘さ。こんな娘と所帯を持ち、町家住居をやらかしたら、とんだ面白い日が暮らせるかもしれない」
 そうはいっても小一郎には、桔梗様のことが忘れられなかった。「あの桔梗様の美しさは、いわば類《たぐい》稀れなるものだ。君江などとは比べものにはならない」とはいえ今に至っては、どうすることも出来なかった。「それにしてもどうして桔梗様は、この俺の恋を入れながら、この俺と一緒に来ようとはせず、昆虫館などへ残ったのだろう?」これがどうにも不平であった。「恋人の愛より親の愛の方が、魅力があったというものかな?」そうとしかとるより仕方なかった。「若い娘というものは、親の愛なんか蹴飛ばしても、愛人の方へ来るものだと、俺は今日まで思っていたが、どうもね、今度は失敗したよ」それが不服でならなかった。
 にわかに小一郎は馬の上で、ク、ク、クッと笑い出してしまった。
「何んの馬鹿らしい、考えてみれば、せっかく昆虫館をさがし中《あ》てた結果、いったい何を得たかというに、あの『騎士《ナイト》よ』という言葉だけだったってものさ」
 自嘲的にならざるを得なかった。
「何をお笑いなさいます?」君江はちょっとばかり怪訝そうに訊いた。
「騎士《ナイト》よ、騎士《ナイト》よ、ハッハッハッ、こんな言葉を覚えましたので」
「綺麗な言葉でございますこと」
「その癖中身はからっぽ[#「からっぽ」に傍点]で」
「どういう意味なのでございましょう?」
「恋人の前へ跪坐《ひざまず》き、恋人のお手々を頂戴し、そのあげくお手々をふんだくられ[#「ふんだくられ」に傍点]、ひどい目に会わされるさむらい[#「さむらい」に傍点]の、毛唐語だそうでございますよ。云ってみればちょうど拙者のようなもので」
「可哀そうな可哀そうな可哀そうな騎士《ナイト》!」
「可哀そうな可哀そうな可哀そうな拙者!」
「でも、妾なら裏切りません」
「また拙者にしてからが、あなたの前では跪坐《ひざまず》きません」
「好きでございます、そういうお方こそ。……女を認めないで虐めるお方! 本当の男でございます」
 二人の旅はつづいて行く。
 ふと小一郎は気になった。
「ご両親はご承知でございましょうな? あなたが拙者と住むことを?」
「妾、勘定に入れませんでした」
「ああ」と思わず小一郎は、嘆息の声を筒抜かせた。それから口の中で呟いた。「何も彼も一切反対
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