お逃げよ!」と続いて女の声がした。
 と、バタバタと足音がして、後はシーンだ、静かなものだ。
「よし」というと岡引の岡八、ピタリと地面へ腹這いになった。「根岸の方へ逃げやがった。ふふん」というとヒョイと立った。「いよいよこれで見当がついた」
 ジメジメと肌が汗ばんでいる。カッカッと頭が燃えている。胸の動悸も相当高い。
「闇討ちだったから驚いたのさ。……闇討をするものは岡引だと、昔から相場が決まっているのに、今夜はそいつが逆だったからなあ。……さあて、これからどうしたものだ? まん[#「まん」に傍点]が悪いからひっ返すかな? そうして死絵を調べるとするか? ……だがどうもこれじゃァひっ込みがつかねえ。構うものか。行く所まで行こう」
 根岸の方へ下ったが、忽ち大難にひっかかってしまった。

     七

 今日の上根岸、百十八番にあたるあたり、その頃は空地で家などはなかった。
 ところが一軒だけ屋敷があった。
 黒板塀、忍び返し、昔はさぞかしと思われるような寮構えだが大きな屋敷だ。無住で手入れが届かないと見え、随分あちこち破損している、植込などは荒れている。屋敷の周囲には雑草が生え冬だか
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