んねえ」
「ぜひほしいんだが目っけてくれまいか」
岡八店先へ腰をかけ、平気で火鉢へ手をかざした。
「ありゃァ滅多に手に入りませんよ」
「いうまでもなく承知だがね、だから一層ほしいのさ」
「あったにしてからが大変な値段で」
「値切りゃァしないよ。大丈夫だ」
「へい、そりゃァまあ、旦那のことですから」
こういいながらも笑っている。相手にしないという恰好である。当然かも知れない。この時岡八、普段着の姿でやって来た。唐桟《とうざん》の半纏《はんてん》というやつである。そうして口調は伝法だ。だが、もし主人の眼が利いて、その懐中に取縄があり、朱総の十手があると知ったら、丁寧な物いいをしただろう。まして岡八と感づいたら[#「感づいたら」は底本では「感ずいたら」]、茶ぐらい出したに相違ない。
年が三十五で小作りで、むしろ痩ぎすの岡八は、決して堂々たる仁態ではなかった。
「一体どのくらいするものだな?」岡八チョイと気をひいてみた。
「値段があって、ないようなもので」
「まさか百両とはしねえだろう?」大きな所を吹いてみた。
「そうばっかりもいわれませんよ」主人例によって冷淡である。「お噂によると雲州様では、百五十金でもとめられたそうで」
「ふうん」といったが少し参った。「成る程それではこの爺、俺を相手にしねえ筈だ」
「だが、それにしても値が出たなあ、たかだかお前染吉といえば、十年前の職人じゃァないか」
「初《はな》から数が少ないんで」
「江戸中に一体幾つあるんだろう?」
「日本中に三十とはありますまい」
「ふうん」と又も参ってしまった。「そんなに数がねえのかなあ」
「ひどく若死にをしましたのでね」
「その死に方も変だったそうだな」
「よくご存知で、衰死したそうで」
「縁起でもなく死んだものだな」
「だから一層値が出ました」
「それは一体どういう訳だ?」
「すべて数寄者という者は、箔のついたものを好みますからな」教える[#「教える」は底本では「数える」]ような態度である。
「箔にもよりけり、縁起でもねえ箔だ」
「当今死に絵さえ、はやっております」
「うん、成程」と、又参った。
「こいつァ初手から駄目らしいぞ」岡八しょげざるを得なかった。「ぼた餅は棚にはなかったよ」
あきらめて立とうとした時である。一人の女が這入って来た。
小紋縮緬の豪勢なみなり[#「みなり」に傍点]、おこそ[#「おこそ」に傍点]頭巾を冠っているので、顔はハッキリ解らなかったが、たしかに大変な美人らしい。眼が非常に美しい。……非常どころか、とても美しい。……というより寧ろ凄いようだ。魅力! 全くそのもののようだ。
「いらっしゃい」と主人、現金な奴だ、揉み手までしてお辞儀をした。「毎々ごひいき[#「ごひいき」に傍点]にあずかりまして」だが、こいつはお世辞らしい。
「染吉の朱盆、ございましょうか?」
そうその女がいったものである。
岡八、当然びっくりした。
「はてな、こいつ面白くなったぞ」
で、わざと立ち上がり、店の品物をひやかす[#「ひやかす」に傍点]ようにして、女の様子をうかがった。
五
古物商の主人と女客との会話は、ざっと次ぎのように運んで行った。
「ああ染吉でございますか、へい、ないこともございませんが」
「只今お店にございましょうか?」
「いえ店にはございませんが……心あたりにはございます。……もし何んなら取り寄せて」
「ぜひお願いいたします。幾枚ぐらい手に入りましょう?」
「さようでございますな、三枚ぐらいでしたら……」
「費用はいくらでも構いません、沢山ほしいのでございますよ」
「へい、しかし、三枚以上は……」
「では三枚お願いしましょう。……で、値段は? 一枚の?」
「二十五金ほどでございましょうか」
「では手附を、半分だけ」
「四十金? で……。これはどうも……へい、へい確にお預かりしました。……ええと所で、お住居は?」
「私、いただきに参ります」
「はい、左様で……。これは受取」
「いつ頃参ったら、ようございましょう?」
「さようでございますな……二三日ご猶予……」
「それではよろしく」
「かしこまりました」
で、女は店を出た。
怒ってしまったのは岡八である。
「馬鹿にしゃァがる! 一体何んだ!」心で毒吐いたものである。「みなり[#「みなり」に傍点]が悪いとこんな目に会う。百五十両だと吹っかけて置いて、二十五両だっていやあがる。ないといいながら三枚がところ、心あたりがあるというちきしょう[#「ちきしょう」に傍点]本当に張り倒してやるかな。……そうはいっても俺の手には、二十五両でも這入りそうも[#「這入りそうも」は底本では「遍入りそうも」]ないなあ。……それにしても一体あの女、何んで染吉の朱盆ばかり、そんなにも沢山ほしがるんだろう?」
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