持ち、加之《しかも》忍術の達人たる彼九郎右衛門は其壮年時代を――特に海上雄飛時代を、どんな有様で暮らしたろう? それこそ洵《まこと》に聞物である。そして夫れこそこの私が語り度いと思う題目なのである。
 元和元年八月二十四日に――信長、秀吉の殊寵を受け、わけても関白秀吉の為めには、朝鮮征伐の地勢調査として自ら韓人に変装し、慶尚、京畿、平壌などを、詳《つまびら》かに探って復命したほどの、大貿易商であり武人である所の――島井宗室は病歿した。享年七十七であった。
 遺命を受けた九郎右衛門が、宗室の次子を家督に据え、二代目宗室の命に依って、南洋の呂宋へ旅立ったのは、其翌年の三月であった。
 此時、九郎右衛門は、三十歳、膏の乗った盛りである。蜀紅錦の陣羽織に黄金造りの太刀を佩き、手には軍扇、足には野袴、頭髪《かみ》は総髪の大髻、武者|草鞋《わらじ》をしっかと踏み締めて、船首に立った其姿! 今から追想《おも》っても凛々しいでは無いか。
 所謂今日の澎湖諸島の、漁翁島まで来た時には七月も中旬になっていた。
 船中へ真水を汲み入れるため船は数日馬公の港へ碇泊しなければならなかった。毎年の事なので島の土人とも以前から了解《はなしあい》が出来ていて、襲撃される心配はない。
 明日はいよいよ出帆という、その前夜の事であったが、九郎右衛門はただ一人、島の渚を彷徨っていた。
 折柄満月が空に懸かり、※[#「水/(水+水)」、第3水準1−86−86]々《びょうびょう》たる海上は波平らかに、銀色をなして拡がっている。塁々と渚に群立っている巨大な無数の岩の上にも、月の光は滴って薄白い色におぼめいている。ギャーッと、一声月を掠めて、岩から海の方へ翔けて行ったのは、余りに明るい月の光に暁と間違えて眼を覚ました鴻鳥ででもあったろう。彼は静かに足を運び岩の一つへ上って行った。海から微風が吹いて来て、鬢の後れ毛を飜えし、身内の汗を拭ってくれる。
 と、彼は急に足を止めた。
 悲しげな少年の泣声が、何処か手近の岩蔭から細々と聞えて来たからである。彼は少なからず驚いて、声の来る方へ耳を傾け、暫くじっと聞き済ましたが、軈《やが》て小走りに走り出した。屏風のように突立っている平の岩をグルリと廻わると忽然と広い空地へ出た。そして其空地の中央に、十四五歳の少年が、縄で手足を厳重に縛られ、地面に転がされているのではないか。
 月光に照らされた少年の端麗優美の容貌が、先ず九郎右衛門の心を曳いた。その次に彼を驚かせたのは、少年の着ている衣裳であった。その衣裳には柬埔寨《かんぼじや》国の王室の紋章が散らしてある。
 曾て、九郎右衛門は柬埔寨へも、一二度往復したことがあって、可成り国語にも通じていた。
 で彼は少年へ話しかけた。
 その結果彼の知ったことは、その少年こそ柬埔寨国の皇太子であるということや、其柬埔寨国に恐ろしい革命が起こったということや、その結果王と王妃とが憐れにも牢獄へ投ぜられ、皇太子のカンボ・コマだけが、謀叛人の一味に捉えられ、此澎湖島の岩の間へ捨て去られたということや――要するに彼と交渉のある柬埔寨の国家の兇変を、皇太子の口から知ったのであった。
 義侠に富んだ九郎右衛門が、その皇子の話を聞いて如何に義憤の血を湧かせたか、如何に皇子に同情したか、それは書き記すにも及ぶまい。
「よろしゅうござる!」と、九郎右衛門は重々しい声で先ず云った。
「日本《ひのもと》の男子九郎右衛門が、計らず殿下にお眼にかかり、お国の大事を聞いたというも、何かのご縁でござりましょう。及ばずながらお力になり、王様、王妃様を救い出し、無事にご対面出来ますようお取計い致しましょう。手近の浜辺に某《それがし》の率る大船|碇泊《ふながか》りして居りますれば、まず夫れへご遷座なされますよう」
 斯うして九郎右衛門は皇子を背負い、自分の船まで帰って来た。そして船中|主立《おもだ》った者を、窃に五人だけ呼び寄せて、其夜の出来事を物語った。
 それから九郎右衛門は斯う云った。
「何より先に呂宋まで急いで船をやらずばなるまい。そこで積んで来た荷を卸し改めて柬埔寨へ渡るとしょうぞ」
「心得申した」と五人の者は、恭く一度に頭を下げた。彼等に執っては九郎右衛門は、無限の権力を持った君主なのである。
 その翌日からコマ皇子は、日本の衣裳を着せられて日本流に駒太郎と呼ばれるようになった。そうして船も其日から有るだけの帆を一杯に張って、南へ南へと下だり出した。麗かな日和がよく続いて、海上は何時も穏かである。程経て船は呂宋へ着いたが、呂宋には島井家の支店《でみせ》がある。そこで荷物を積み代えると船は海上を日本へ向けて、急いで取って返えしたのであった。併し此時、積荷と一緒に多量の煙硝や弾丸や、刀槍の類を窃《こっそ》りと、船内へ運搬された事は、支店の人さえ気が付かなかった。まして勿論その船が途中から航路を西南に執り、日本と正反対の方角へ、進んで行ったというような事は、考えて見ることさえしなかった。
 しかし御朱印船宗室丸は、コマ皇子の駒太郎や、頭領赤格子九郎右衛門や、五十余名の水夫《ふなのり》を載せて、船脚軽く堂々と柬埔寨国へ進んだのであった。
 そうして、それ以来、宗室丸は、暫く人々の耳目から其踪跡を晦ませたのであった。

     四

 斯うして一月は経過した。
 そして物語は舞台を変えた柬埔寨国へ移ったのである。
 暹羅の南、交趾支那の北、これぞ王国柬埔寨の位置で、メコン河の下流、トッテサップ湖の砂洲に、首都プノンペン市は出来ていた。町の東北に片寄って、巍然として聳える高楼こそ、アラカン王の宮殿であるが、今は叛将イルマ将軍に依って、占領されているのであった。
 それは月の無い深夜である。
 厳めしい宮殿の裏門には、槍を握った叛軍の衛兵が、五人列んで佇んでいたが、不意に一斉に声を上げた。
「誰じゃ?」と鋭く叫んだものである。すると、其声の終えない中に、闇の中から人影が、ヒラリと前へ飛び出して来たが「カーッ」と劇《はげ》しく一喝した。それと一緒に閃々と電光《いなずま》のようなものが閃めいた。と、手に槍を握ったまま、五人の兵は五人ながら、地にバタバタと切仆された。
「いざ、駒太郎殿、おいでなされい」
 すると音も無く闇の中から復人影が現れたが、九郎右衛門殿と囁いた。
 二人は其儘スルスルと宮殿の中へ這入って行った。
 赤格子九郎右衛門教之は、衛兵数人を切り仆し、カンボ・コマ皇子事駒太郎を連れて、柬埔寨国の王宮の中へ、門を排して突入った。
 その時の事を「緑林黒白」には次のような文章で書き記してある。
「門ヲ入レバ内庭ニシテ、四辺闃寂人影無シ、中央ニ大池アリ。奇巌怪石岸ニ聳チ、一切前景ヲ遮ルアリ、両人即チ池ヲ巡リ、更ニ森林ノ奥ニ迷フ。忽然茂ヨリ走リ出デ九郎右衛門ニ向カッテ跳躍スルモノアリ。一個獰猛ノ大豹ニシテ、白刄一閃大地ニ横仆ワル。林ヲ出デ、奥庭ニ入リ、廻廊ヲ巡リ巨塔ノ前ニ現ル。衛兵三人、槍ヲ擬シ誰何ス。二人ヲ斃シ、一人ヲ捉ヘ、威嚇シテ以テ東道トナス。巨塔ハ即チ牢舎ニシテ、地下数丈階段ヲ下レバ、岩モテ畳メル密室アリ、王及ビ王妃ヲ幽閉セル処……」云々と。
 斯うして皇子と九郎右衛門とは、地底の牢獄まで辿り着いたのであった。其処には誰も居なかった。王の持っていたらしい王笏と、穿いていたらしい靴が一足、傷ましい悲劇を語り顔に、床の上に捨ててあるばかりで、王も王妃も居ないのである。
「弑虐か、それとも救い出されたか?」
 要するに此二つであった。
 併し恐らく弑せられたのであろう。九郎右衛門とコマ皇子とは茫然と顔を見合わせて、立ち縮まざるを得なかった。
 しかし左様やって何時までも立ち縮んでいることは出来なかった。敵の領内であるからである。
 二人は急いで塔を出た。
 気付いて囲繞んだ叛軍の群を、例の精妙の「か音の一手」で、縦横無尽に切り払い、一散に城外へ走り出た。城外には予め備えて置いた、彼の五十人の部下が居たので忽ち一方の血路を開き、カンポット港まで潜行した。こうして船へ乗り込んで一先ず日本へ引き上げたのである。

 寛文六年の初夏であったが、その赤格子九郎右衛門は、博多から江戸へ出かけて行った。
 時に年八十六歳。頽然たる老人である可きであったが、名に負う海洋で鍛えた体は矍鑠《かくしゃく》として尚逞しく、上下の歯など大方揃っていた。加之此時は彼の資産なども、末次平蔵と伯仲の間にあって、居然たる九州の富豪であった。従って官民上下からも多大の尊敬を払われていたが、時の大老酒井忠清は取り分け彼を愛していた。
 で、此時も邸へ招いて、彼の口から語り出される壮快極わまる冒険談を喜んで聞いたということであるが、其時座中には堀田正俊だの、阿部豊後守忠秋だの、又は河村瑞軒などという、一代の名賢奇才などが、臨席していたということである。
「其方程の剛の者には恐ろしいと思うた事などは、曾て一度もあるまいの?」ふと忠清は話のついでに斯う九郎右衛門[#「九郎右衛門」は底本では「九郎付衛門」]に訊いて見た。
 すると、九郎右衛門は、大きな眼を、心持細く窄めたがそれは過ぎ去った遠い昔を、想い返えそうとする表情なのでもあろう。
「仲々もって左様な事……」
 と、謙遜に彼は首を振ったが、
「取り分け香港に於きまして、〈黒仮面船〉の猛者どもに、おっ取り巻かれました其時は、此九郎右衛門心の底より恐ろしく思いましてござります」
「なに、香港の〈黒仮面船〉とな? それは一体何者じゃな?」
「不思義な海賊にござります」
「ほほう海賊? 支那の海賊かな?」
「ところが、支那人ではござりませぬ」
「どうやら話は面白そうじゃ。ひとつ詳細に話して貰いたいの」
「心得ましてござります」九郎右衛門は斯う云って、夫れから其話しを話し出した。

 それは今から四十六年の昔、元和七年の初夏の事で、その時私は男盛りの四十歳でござりましたが、宗室丸の船頭として、南洋に向かって出帆致しました途次、予定の寄港地たる香港の港へ碇泊り致しましたのが事の発端で、其夜私は東六という若い楫《かじ》取を供に連れて港へ上陸いたしました。
 ご承知の通り香港《ホンコン》は、支那大陸の九竜とは指呼の間にござりまして、小さい孤島ではござりますが、其湾内は東洋一、水深く浪平に、誠に良港でございますので、各国の船は必ず一度は、其処へ泊まるのでございます。
 とは云え気候は極わめて熱く、悪疫四方に流行し、加之《しかも》土人は兇悪惨暴、その上陸地は山ばかりで、取り処の無い島とも云えましょう。併し、港の近傍には無数の人家軒を並べ、酒店、娼家、喫茶店など、到る所に立ち並び繁昌を極めて居りました。
 で、私と東六とは、その中で特に外見の好い、酒店へ這入って行きました。

     五

 這入って見ますると、店の中は、諸国の水夫《かこ》や楫取で、一杯になって居りました。支那の言葉、呂宋の言葉、西班牙《イスパニア》の言葉、ポルトガルの言葉――色々様々の国々の言葉で、四辺は騒々しく活気に充ち、何か今にも面白い事件でも、起こって来そうに思われました。
 私と東六は室の隅の丸い卓子《テーブル》を前にして、所の名物|柘榴《ざくろ》酒を飲みながら、四辺の様子を見て居りましたが、不意に其時、私達の横で、
「あ、来たぞ! 黒仮面が!」と、小声で叫んだのを聞きました。
 それと同時に室の中が急に静かになりました。と、見ると、遙か室の向うの、戸外へ向いた戸口から、其形恰も蝙蝠のような畸形な真黒の人影が、室の中へひらひらと這入って参りました。
「成程、噂に聞いた通りの不思議な様子をして居る哩」と、私は胸で呟いたものです。
 漆黒の服で全身を包み、同じ色の覆面をし、翼のような黒母衣を背負った、国籍不明の水夫《かこ》達に依って、繰られている大型の船が、南海や支那海を横行し、海上を通る総船を、理由《いわれ》無しに引き止めて、その船内へ踊り込み、人間の数を調べたり掠奪を為るということは、以前から聞いて居りましたので、其時、室へ這入って来た、蝙蝠のよ
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