日に限って一向にお逸《はず》みなされませぬな。さてはお酌がお気に召さぬそうな」
「なんのなんの飛んでもないことで。お菊様の進め上手に、つい平素《いつも》より度をすごし、眼は廻る、胸は早鐘、苦しんで居るところでございますわい」
 鈴木利右衛門はこう云いながらトンと額を叩いたものである。
「お菊お菊、構うことはない、どしどし酒を注いでやれ。何の鈴木がまだ酔うものか」
 卜翁は大変なご機嫌でこうお菊をけしかけ[#「けしかけ」に傍点]た。
 今日は五人の年始客は、卜翁が役に居った頃部下として使っていた与力であって、心の置けない連中だったので、酒が廻るに従って、勝手に破目を外し出した。袴を取って踊り出すものもあればお菊の弾《かな》でる三味線に合わせて渋い喉を聞かせるものも出て来た。それが又卜翁には面白いと見えてご機嫌はよくなるばかりである。
 騒ぎ疲労《つかれ》て静まった所で、ふと卜翁は云い出した。
「……御身《おみ》達いずれも四十以上であろうな。鈴木が年嵩で六十五か。……年を取ってもこの元気じゃもの壮年時代が思いやられる。……さればこそ一世の大海賊赤格子九郎右衛門も遁れることが出来ず、御身達の手に捕えられたのじゃ。……いや全く今から思ってもあれ[#「あれ」に傍点]は大きな捕物であったよ」
「はい左様でございますとも」
 鈴木利右衛門が膝を進めた。
「まさか海賊赤格子が身分を隠して陸へ上り、安治川《あじかわ》一丁目へ酒屋を出し梶屋などという屋号まで付けて商売をやって居ようなどとは夢にも存ぜず居りました所へ、重右衛門の訴人で左様と知った時には仰天したものでございます。……番太まで加えて百人余り、キリキリと家は取り巻いたものの相手は名に負う赤格子です、どんな策略があろうも知れずと、今でこそお話し致しますが尻込みしたものでございます」
「九郎右衛門めは奥の座敷で酒を呑んでいたそうじゃな」
「我々を見ても驚きもせず、悠々と呑んで居りました。その大胆さ小面憎さ、思わずカッと致しまして、飛び込んで行ったものでございます」
「そうしてお前がたった一人で家の中へ飛び込んで行き、九郎右衛門に傷《て》を負わせたため、さすがの九郎右衛門も自由を失い捕えられたということじゃな」
「先ず左様でございますな」
 利右衛門はいくらか得意そうに、こう云って頭を下げたものである。
 先刻《さっき》から恐ろしい
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