「ああその事でござんすか。……何と申してよろしいやら。……」
 袖で顔をかくしたが、
「こういう寂しい場所へ出て客を引くのが妾の商売、……妾は夜鷹でござんすよ。――どうやら吃驚《びっくり》なされたご様子。決してご心配には及びませぬ。心は案外正直でござんす。……実は難波桜川で、はじめてのお客を引きましたところ、わたしの初心《うぶ》の様子を見て、かえって不心得を訓しめられ、一朱ばかり頂戴し、別れた後で往来を見れば、大金を入れた革財布が……」
「おお落ちて居りましたか?」
「中味を見れば二百両」
「え、二百両? むうう、大金!」
「はい、大金でございますとも。すぐに後を追っかけて、ここまで走って来は来ましたが……」
「見付かりましたか、落し主は?」
「いいえ、それがどこへ行ったものか、見失ってしまいました」
「それでは財布はそっくり[#「そっくり」に傍点]その儘……」
「妾の懐中《ふところ》にござんすとも」
「おやまアそれはいい幸い、どれ妾に障《さわ》らせておくれ」
 グイと腕を差し延ばすと、夜鷹の胸元へ突っ込んだ。
「あれ!」と云う間もあらばこそ、ズルズルと財布は引き出された。
「それじゃお前は泥棒だね!」
「今それに気がお付きか! こう見えても女賊の張本赤格子九郎右衛門の娘だよ!」
「泥棒! 泥棒!」と喚き立てる夜鷹。
「ええ八釜敷《やかましい》!」とサット突く。
 ドンという水の音。パッと立つ水煙り。夜鷹は木津川へ投げ込まれた。
 その時、黒い人影が川下の方から走って来たが、
「そこに居るのは姐御じゃねえか」
 近寄るままに声を掛ける。
「ああ忠さんかいどうおしだえ?」
「ひでえ目に逢いましたよ」
「眼端の鋭いお前さんが、酷い目に逢ったとは面白いね。何を一体|縮尻《しくじっ》たんだえ?」
「何ね中之島の蔵屋敷前で、老人《としより》の武士《りゃんこ》を叩斬り、懐中物を抜いたはいいが、桜川辺りの往来でそいつを落としてしまったんだ。つまらない目にあいやしたよ」
 聞くとお菊はプッと吹き出し、
「落とした金は二百両かえ?」
「へえ、いかにも二百両で……」
「革の財布に入れたままで?」
「こりゃ面妖だ。こいつア不思議だ!」
「女を買うもいいけれど、夜鷹だけは止めたがいいね」
「…………」
「何だ詰まらないお前の金か。無益の殺生したものさね。……さあ返すよ。それお取り」


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