に見受けられたが、一所に垂れている垂れ布《ぎぬ》の模様が、日本の織り物としてはかなり珍らしい。剣だの巻軸だの寺院《てら》だのの形で、充たされているのが異様であった。
と、この一団だが近づいて来て、茅野雄の前までやって来ると、予定の行動ででもあるかのように、足を止めて松火《たいまつ》をかかげた。
そうでなくてさえ茅野雄にとっては、もの珍らしい一団であった。ましてや足を止められたのである。必然的に彼らを見た。
と、「おや!」という驚きの声が、茅野雄の口から飛び出した。
その一団の先頭に佇み、茅野雄を見ている老人があったが、昼間茅野雄に道を教えた、老樵夫その人であったからである。
と、老樵夫は腰をかがめたが、恭しく茅野雄へお辞儀した。
「お迎えに参りましてござります。ご案内いたすでござりましょう。どうぞ輿へお召しくださりませ」
(驚いたなア何ということだ。俺には訳が解らない)
茅野雄は老人へ云った。
「親切に道を教えてくれた、お前は先刻の老人ではないか。何と思ってこのようなことをするぞ?」
しかし老人は茅野雄の言葉へ、返辞をしようとはしなかった。
「お迎えに参りましたのでござります。ご案内いたすでござりましょう。どうぞ輿へお召しくださりませ」
こう繰り返して云うばかりであった。
「お前に迎えられる理由はないよ」
茅野雄は少しく腹立たしくなった。
「案内すると云うが、俺《わし》の行く先を知っているかな?」
老人の言葉は同じであった。
「お迎えに参りましてござります。ご案内いたすでござりましょう。どうぞ輿へお召しくださりませ」
「俺《わし》はな」と茅野雄は苦笑しながら云った。
「先刻《さっき》は高山へ行くとは云ったが、ほんとうの行く先は高山ではないのだ。高山からさらに十里離れた……」
しかしこのように云って来て、不意に茅野雄は口を噤《つぐ》んだ。
(迎えに来たというからには、案内しようというからには、俺の行く先を知っていなければ嘘だ、……と云って知っているはずはない。よしよし一つからかって[#「からかって」に傍点]やろう)
で、茅野雄はわざと慇懃《いんぎん》に云った。
「せっかくのお迎えでござるゆえ、遠慮なく輿に乗りまして、行く先までご案内をお願いしましょう。が、只今も申した通りに、貴殿方には拙者の行く先を、ご存じないように存じますよ。それともご存じでござりますかな? ご存じならば仰せられるがよろしい。ただしこれだけは申し上げる。と云うのは今も申しました通り、拙者の行く先は高山から、十里はなれた地点でござる。どこでござろうな? どこでござろうな?」
で、老人の答えを待った。
「はい」と老人はその言葉を聞くと、いくらか眉をひそめたようであったが、
「高山のお城下を中心にして、十里離れた地点と申しても、いろいろの里や郷があります。どの方角へ十里でござりましょうか」
(それ見ろ)と茅野雄は笑止に思った。
(お迎えに来たの案内しようのと、いいかげんのことを云っていながら、俺の行く先を知らないではないか。――どうやらこ奴らは悪者らしい)
しかし茅野雄は云うことにした。
「どの方角だか俺《わし》も知らぬ。ただし地名は丹生川平《にゅうがわだいら》と云うよ」
――するとこれはどうしたのであろうか、老人の態度がにわかに変わって、一種の殺気を持って来た。
「丹生川平へおいでになる? どのようなご用でおいでになりますかな?」
「そこにの、俺《わし》の叔父がいるのだ」
「お名前は何と仰せられますかな?」
(何故こううるさく訊くのだろう?)
茅野雄は変な気持がしたが、
「叔父の名前か、宮川|覚明《かくめい》というよ」と、一つの事件が起こった。
茅野雄のそう云った言葉を聞いて、老人が鬼のような兇悪な顔をつくり、従えて来た部下らしい十九人の者へ、何やら大声で喚いたかと思うと、十九人の若者が小刀を抜いて、死に物狂いの凄じさで、茅野雄へ切ってかかったことであった。輿も松火も投げ捨てられて、輿は微塵に破壊《こわ》されたらしく、松火は消えて真の闇となった。
ダ、ダ、ダ、ダ、ダ――ッと物凄い足音! つづいて喚く声々が聞こえた。
「法敵の片割れだ! 生かして帰すな!」
「丹生川平へ走らせるな!」
「谷へ蹴落とせ! 切り刻んでしまえ!」
「いや引っ捕らえろ! 生贄《いけにえ》にしろ!」
しかしそういう声々よりも、そういう声々の凄じい中を縫って、例の老人の錆びた太い声が、祈りでも上げているように、途切れ途切れではあったけれども、
「我が兄弟健在なれ! 勝利を神に祈れ! 教主マホメットの威徳を我らに体得せしめよ! 全幅の敬意を我らは捧ぐ! 唯一なる神よ! 謀叛人を許すなく、マホメットの使徒に行なわしめよ! 最も荘厳なる殺戮を! この者我らの敵にして、神を犯しマホメットを穢す! 嵐よ吹け! この者を倒せ! 豪雨よ降れ! この者を溺らせよ!」
と、木や岩に反響して聞こえてくるのが、一層に凄くすさまじかった。
思いも及ばなかった殺到に対して、いかに茅野雄が驚いたかは、説明をするにも及ばないであろう。
身を翻えすと飛びしさって、そこにあった老木の杉の幹を楯に、引き抜いた刀を脇構えに構え、しばらく様子をうかがった。
と云っても相手を見ることは出来ない。深山の暗夜であるからである。焔は消えたが余燼《よじん》はあって、五六本の松火が地上に赤く、点々とくすぶって[#「くすぶって」に傍点]はいたけれど、光は空間へは届いていなかった。案内の知れない山中であった。諸所に大岩や灌木の叢《くさむら》や、仆れ木や地割れがあることであろう。飛び出して行って叩っ切ろうとしても、躓《つまず》いて転がるのが精々であった。
(こ奴らは、一体何者なのであろう?)
老人の祈りめいた叫び声によって、マホメット教徒であるらしい――そういうことだけは思われた。
(丹生川平の叔父の一族を、敵として憎んでいるらしいが、どういう理由から憎むのであろう?)
すると不意に茅野雄の記憶の中へ、従妹《いとこ》の浪江から送り来《こ》された、書面の文句が甦えって来た。
(父も母も無事でございます。でも性質は変わりました。敵を持つようになりました。只今私達の一族は、苦境にあるのでございます。どうぞどうぞおいでくださいまして、私達一族の味方となって、私達をお助けくださいませ。――そうだ、こんなように書いてあった。その敵というのがこ奴らなのであろう)
「だが何故俺を殺そうとするのか?」
(俺が叔父達の一族だからであろう)
(俺にとってもこいつらは敵だ!)
眼の前の余燼を赤らめて、点々と見えていた松火の火が、この時にわかに消えてしまった。
松火の余燼の消えたのは、そこへ相手の敵の勢が集まって、足で踏み消したのであろう――と、直感した直感を手頼《たよ》って、茅野雄は翻然と突き進んだ。声は掛けなかったが辛辣であった! 感覚的に横へ薙いだ。と、すぐに鋭い悲鳴が上って、人の仆れる物音がしたが、つづいて太刀音と喧号《けんごう》とが、嵐のように湧き起こった。そうして闇の一所に、その闇をいよいよ闇にするような、異様な渦巻が渦巻いたが、にわかに崩れて一方へ走った。
と、数間離れたところで、同じような渦巻が渦巻いて、またもや太刀音と喧号とが悲鳴と仆れる音とに雑って、同じく嵐のように湧き起こった。茅野雄が敵を切って位置を変えるごとに、執念深く敵が追い逼って、引っ包んで討ち取ろうとしているのであった。
同じようなことが繰り返されて、渦巻が崩れて一方へ走って、そっちへ渦巻が移って行った時に、谷へ石でも転落するような、ガラガラという音が響き渡った。
白河戸郷
その日から十日は経ったようであった。
丹生川平から五里ほど離れた、白河戸郷《しらかわどごう》から一群の人数が、曠野の方へ歩いて来た。
一人の若い美しい乙女を、十二人の処女らしい娘達が、守護するように真ん中に包んで、長閑《のどか》に話したり歌ったりして、ゆるゆると漫歩して来るのであった。飛騨の山の中でも白河戸郷といえば、日あたりの良いいい土地として、同国の人達に知られていた。
季節は六月ではあったけれども、山深い国の習いとして、春の花から夏の花から、一時に咲いて妍《けん》を競っていた。木芙蓉の花が咲いているかと思うと、九輪草の花が咲いていた。薔薇と藤とが咲いているかと思うと、水葵の花が咲いていた。青草の間には名さえ知られていない、黄色い花や桃色の花が、青い絨毯に小粒の宝石を、蒔き散らしたように咲いていた。
白河戸郷は四方グルリと、低い丘によって囲まれていて、その丘を上ると曠野であって、曠野の外れは高山によって、これまた四方を囲まれていた。で、高山の大城壁が、白河戸郷をまず守り、次に荒々しい広い曠野が、白河戸郷を抱き包み、さらに低い丘が内壁かのように、白河戸郷を守っているのであった。
約言すると白河戸郷は、三重の大自然の城壁によって、守護されている盆地形の、城廓都市ということが出来た。
が、もちろん、城廓都市という、この大袈裟な形容詞の、中《あた》っていないことは確かであって、むしろ三重の大自然によって、外界と遮断されている、別天地と云った方が中っていて、盆地の中には多数の人家や、小ぢんまりとした牧場や、花園や畑や田や売店や、居酒屋さえも出来ていた。
で、朝夕炊煙が上って、青々と空へ消えもすれば、往来で女達が喋舌《しゃべ》ってもいれば、居酒屋で男達が酔っぱらってもいれば、花園で子供達が飛び廻ってもいれば、田畑で農夫達が耕してもいた。
が、ここに不思議なことには、盆地の中央に一宇[#「一宇」は底本では「一字」]の伽藍が、森然として立っていることであって、その形は小さかったが――と云って二十間四方はあろうか、様式がこの上もなく異様であった。とは云え伽藍の本当の姿は、その伽藍をこんもり[#「こんもり」に傍点]と取り巻いている、巨大な杉や桧に蔽われて、見て取ることは出来なかった。が、真鍮色の天蓋形の、伽藍の屋根が朝日や夕日に、眼眩《めくる》めくばかりに輝いて、正視することさえ出来ないように、鋭い光を反射して、そのため鳥の群がそこへばかりは、翼を休めて停まろうとさえしない。――と、云うほどにも神々しい屋根が、人々の眼に見てはとれた。
曠野の方へ漫歩して行く、女の群はその伽藍から、どうやら揃って出て来たらしい。
その群は今や丘の斜面を、上へすっかり上り切って、丘の頂きへ姿を現わした。
十二人の処女らしい娘達に、守護されながら歩いている乙女の、何という美しく健康《すこやか》で、快活で無邪気であることか! 身長《せい》も高ければ肥えてもいる。四肢の均整がよく取れていて、胸などもたっぷりと張っている。切れ長でしかも大きな眼、肉厚で高い真直ぐの鼻、笑うごとに石英でも並べたような、白くて艶のある前歯が見え、その歯を蔽うている唇は、臙脂《べに》を塗ってはいなかったが、臙脂《べに》を塗っているよりも美しかった。練り絹の裾だけに、堂や塔や伽藍や、武器だの鳥獣だのの刺繍をしている、白の被衣《かつぎ》めいた長い布《きれ》を、頭からなだらかに冠っていた。異国織りらしい帯の前半《まえはん》へ、異国製らしい形をした、金銀や青貝をちりばめた、懐剣を一本差しているのが、この乙女を気高いものにしていた。
乙女を守護している娘達も、揃って美しく健康で、上品で無邪気ではあったけれども、被衣などは冠っていなかった。侍女達であることは云うまでもあるまい。
その一行が斜面を上って、丘の頂きへ立った時に、下から一斉に声を揃えて、呼びかける声が聞こえてきた。
――お嬢様ご用心なさりましょう。
――あまり遠くへおいでなさいますな。
――丹生川平の連中が、襲って参るかもしれませぬ。
距離がへだたっているがために、地言《じこと》はハッキリと解らなかったが、こういう意味のことを言っているようであった。
で、乙女も侍女達も、盆地の方を振り返って見た。往来や田畑や家の門口《かどぐち》
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