燈火《ともしび》が射し、高貴な若々しい男の声が、屈託もなさそうに聞こえてきた。
「問題は非常に簡単なのだよ。小慾にあり知足《ちそく》にあるのさ。なるほど、今は生活《くらし》にくい浮世だ。戦い取ろう、搾《しぼ》り取ろうと、誰も彼も逆上してあせっている。だから私は云うのだよ、慾を少なくして、足るを知れと。つまり浮世と逆行するのだ。その逆行が徹底した時に、桃源郷が現じ出してくる。……誰も彼も桃源郷を求めていながら、誰も彼もが桃源郷を断っている」
するとその声に答えるようにして、あどけない娘の声がした。
「小父《おじ》様ほんとうでございますわね。……でも小父様はどういうお方ですの?」
「私《わし》かね」と男の笑声が云った。
「旅人なのだよ、この人の世の。……お伽噺の語り手なのだよ。伝道者と云ってもよいかも知れない」
「妾《わたし》ちっとも恐くないわ。知らないお方ではございますけど。……フラリと先刻《さっき》いらしった時から、ちっとも恐くはございませんでしたの」
「それはね、お前さんがよい娘《こ》だからよ。……悪人なら私を怖がるはずだ」
「でも小父様はお立派なのね。お顔もお姿もお召し物も。……
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